岡田光世 「トランプのアメリカ」で暮らす人たち  銃乱射の日常めぐる「思い」を聞く 前編(J-CASTニュース)

 2019年8月13日と14日未明、米国で立て続けに銃乱射事件が起きた時、私は米中西部ウィスコンシン州にある人口2,600人ほどの小さな町にいた。1年間、交換留学生として学んだ高校の同窓会に出席するためだ。ここは北海道のような酪農地帯だ。

 今回は2回に分けて、銃が身近な地元の人たちの、銃への思いを紹介したい。

■「今度はどこ?」

 テキサス州エルパソの事件は、同窓会が始まる3時間前に起きていた。同窓会が開かれた町中のバーには、テレビのスクリーンがいくつか設置されていた。あとから思えば事件について報道していたはずだが、私はまったく気づかなかった。旧友たちも知ってか知らずか、その話をしなかった。

 旧友のひとりは、「銃乱射事件が起きたらしいというのは映像からわかったけれど、バーのなかはうるさくて音声が聞こえなかった」と話していた。

 私はその日、朝から外に出ていて、旧友や元教師、町の人たちと言葉を交わしていたが、事件の話をする人は誰もいなかった。翌朝ニュースを見て、エルパソの銃乱射、そしてその13時間後の4日未明にオハイオ州デイトンで起きた銃乱射事件について、初めて知った。

 テレビの近くにすわっていた友人家族は、「また銃乱射か」、「今度はどこ?」と言うだけで、おしゃべりの合間にちらちら画面を見ている程度だった。その1週間前には、カリフォルニア州のギルロイで、銃乱射事件が起きたばかりだ。

 その週末はちょうど、町でカウンティフェアが行われていた。年に一度の郡のお祭りで、農産物や家畜の品評会やゲームなどが行われる。人々は何事もなかったかのように、トラクターや馬の牽引レース、特設の遊園地の乗り物、アメリカンドッグやビールなどの飲食を楽しんでいた。

 人が集まる場所で銃乱射が起きるのでは、といった懸念はまったく感じられなかった。

銃規制だけでは根本的な解決にはならない

 地元紙の取材でアルバイトとして来ていた知り合いの大学生ナッシュ(22)と、フェアでばったり会った。同州の州都マディソンにある州立大学でジャーナリズムを専攻する彼は、首都ワシントンで半年間、民主党寄りのテレビ局でインターンの経験があった。

 ナッシュは、「銃乱射事件があまりに頻繁に起きるから、僕たちアメリカ人は事件に対して免疫ができ、もう鈍感になってしまっているんだ」と私に話した。

 ウィスコンシン州では、多くの家庭にハンティング用のライフル銃がある。狩猟は生活の一部で、その時期になると、家の前の木々に射止めた鹿がぶら下がっている。解体した大量の肉は冷凍庫で保存され、やがて食卓にあがる。

 ナッシュは、リベラル派が多い都市部と保守派が多い地方とでは、銃に対する思いが違うという。

  「都市で生まれ育った人にとって、銃のイメージは犯罪だ。地方ではスキート射撃(オリンピック競技種目にもあるクレー射撃の1種目)や狩猟といったスポーツだ。僕が初めて鹿をハンティングした時、ハンター・セイフティー・コースを受けた。銃の危険性を知っているからこそ、銃に対する畏敬の念が生まれる。もちろん、銃を邪神として崇拝しているわけではないけれど、都会で生まれ育った人には、僕らの銃に対するそういう思いをなかなか理解できない。
   僕と同じようにハンターのなかにも銃規制を支持する人たちはいるが、銃を取り上げられることには抵抗がある。その必要はないだろう? 銃の恐ろしさを理解し、きちんと扱っているのだから」

 銃が容易に手に入らなければ、銃による事件は起こりにくい。銃購入時の厳しいグラウンドチェックや、殺傷能力の高いアサルトライフル所持の禁止など、銃規制は不可欠だとナッシュは考えている。

  「でも、それだけでは根本的な解決にはならない。多面的に取り組む必要がある。人の命を奪いたいやつは、銃がなければ別の手段を考える。自分で爆弾や銃を作ることもできる。フランスのニースで通行人にトラックが突っ込み、80人以上が亡くなったケースもある。なぜそのようなことが起きるのか。そこを考えなければ、意味がない」


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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