思想家・大杉栄らと虐殺された6歳児 名古屋の寺で墓発見から半世紀

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編集委員・伊藤智章

 関東大震災直後の混乱のさなかに無政府主義の思想家大杉栄(1885~1923)が虐殺された事件で、巻き添えになった大杉のおい、橘宗一(むねかず)少年(当時6)を悼む墓前祭が9月11日、名古屋市千種区の覚王山日泰寺で開かれる。軍国主義の下、墓はひっそりと建てられた後、72年に再発見され、50年になる。

 宗一少年は大杉の妹あやめと、現在の愛知県あま市七宝町出身の貿易商橘惣三郎の長男。1923年9月1日に起きた大震災直後の9月16日、大杉と作家の伊藤野枝に連れられて東京に出かけた際、憲兵に連行されて殺害された。遺体は井戸に投げ込まれた。著名な大杉の殺害を誰が計画したのか、真相はよく分かっていない。

 墓は日泰寺の広大な墓地にあり、高さ約1・2メートル。クリスチャンだった惣三郎が事件4年後に建立した。表に宗一の名前、裏には「大杉栄野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」と激しい言葉で無念の思いを刻んでいる。

 主犯とされた憲兵隊の甘粕正…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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