悲恋から320年のお初天神 境内を埋めた飲み屋、今は恋人の聖地に

 関西有数の繁華街、大阪・キタに、そこだけ時代に取り残されたような一角がある。

 その名は露天神社(つゆのてんじんしゃ)(https://www.tuyutenjin.com/)。というより、通称の「お初天神」の方が通りがいい。

 1703(元禄16)年、遊女のお初と醬油(しょうゆ)屋の手代・徳兵衛が一帯の森で情死した。

 そのゆかりの地が曽根崎で、現在の大阪市北区曽根崎地区にあたる。

 この心中事件を題材に近松門左衛門が書き上げた人形浄瑠璃曽根崎心中」が当時、大ヒットした。影響を受けて命を絶つ男女が相次ぎ、幕府が心中物の上演を禁じる事態にもなった。

お初と徳兵衛が歩いた森は盛り場に

 明治期以降、周辺は交通の中核となる大阪駅を中心に開発が進んだ。お初と徳兵衛が手をとって歩いた蜆(しじみ)川や天神の森は姿を消し、曽根崎は飲食店が集まって盛り場になった。

 時代は変わって1945年…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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