慶大生の中村雅俊 「あんな言葉がほしくて生きていた」

 昨年のNHK連続テレビ小説「半分、青い。」で主人公鈴愛(すずめ)の祖父、仙吉を演じた中村雅俊さん。ドラマや歌、映画、舞台と幅広く活躍を続け、68歳の今も「永遠の青年」の雰囲気をたたえる。ただ、実際の青年時代はあれこれ模索していた。やりたいことはあるけれど、自信がない。そんな中村青年の背を押してくれた、一言の英語とは。

 宮城県女川町で育ち、慶応大へ。横浜の家賃5千円、ふろなし、共同便所の4畳半のアパートで暮らした。故郷の母からの仕送りは毎月2万5千円。道路工事や清掃、ホットドッグ屋、コピー取り、呼び込みなど、アルバイトに精を出して暮らしを支えていた。「部屋には冷蔵庫もテレビもなかった。ラジカセとギターだけがお供でしたね」

 大学3年のころ、所属していた東京学生英語劇連盟(MP)でオリジナルミュージカルを上演することになり、演出の奈良橋陽子さんとジョニー野村さん(奈良橋さんの元夫)の前で、自作の10曲をギターを弾きながら歌ったが、ジョニーさんに「洋楽じゃないね」と言われ、採用されなかった。

 そこで音響スタッフで加わることに。稽古期間中、「役者になろうと思っているんですけど……」と相談すると、外国生活が長い奈良橋さんは“You have something.”と英語を交えながら「あなたは、何かを持っているわよ」と励ましてくれた。

 「おれ、ひょうきんでちょっとした人気者だったんだ。ギター弾いて皆が聴いてくれたりして目立っていたのかも。そんな様子を見てくれていたのでしょう」と振り返る。「だけど、不安で自信がなかった。俺がお芝居するなんて、って。だからすごく励みになった。あんな言葉がほしくて生きていたのかもしれない」

 奈良橋さんの言葉に後押しされ、在学中に文学座付属演劇研究所の試験を受け、合格。俳優を目指し始めることになった。

 その後、学園ドラマ「われら青春!」でデビュー。人気者になってから、奈良橋さんに会った。「良かったね、と自分のことのように喜んでくれましたね」

 キャスティングディレクターなどとして国際的に活躍していく奈良橋さんとの縁は続く。2013年には奈良橋さんがプロデューサーを務めた米映画「終戦のエンペラー」に出演、近衛文麿役を英語で演じた。「人生で、できるかできないかで迷う時に俺、できる気がする方にいくようになりました」

 そんなポジティブな生き方は周囲に勇気を与える。東日本大震災で被災した故郷の支援に、何度も足を運んだ。二十歳の時に女川を題材に作った「私の町」という歌を歌うと、同郷の被災者たちは喜んでくれた。「がれきだらけで女川の風景が失われていた。泣いて聴いてくれる人もいましたね。同級生も皆、おっさんになっちゃったけど、俺がいつまでも頑張っている姿を見て励みになるといいですね」

 屈託のない笑顔で「俺、いい人ってイメージがあるけど、真逆(まぎゃく)な役をやってみたいんですよね」。今年でデビュー45周年を迎えるが、なお好奇心旺盛。青春時代にきらめいた「何か」を探す「俺たちの旅」は、なおも続く。(山根由起子)

     ◇

 1951年、宮城県女川町生まれ。慶応大卒業。74年にドラマ「われら青春!」で主演デビュー、挿入歌「ふれあい」がヒット。「俺たちの旅」「半分、青い。」に出演のほか、ヒット曲に「心の色」など。

 ◇デビュー45周年記念シングルベスト「yes!on the way」が7月1日発売。東京・明治座での記念公演は7月6~31日、1部が舞台「勝小吉伝~ああ わが人生 最良の今日~」、2部がライブ。03・3666・6666(明治座チケットセンター)。


Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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