撮りたくなかった「死に顔」 カメラを持たずに寂聴さんのお通夜へ

中村裕さんに聞く⑤

 映像ディレクターの中村裕さん(62)は瀬戸内寂聴さんに寄り添い、本音で語り合ってきた。晩年は「死」を話題にすることが増え、亡くなる約10カ月前の2021年正月には自らの最期を予言するかのように死を語ったという。

 ――晩年は「早く死にたい」が口癖でしたが、死について、どんなことを語っていましたか?

 作家の里見弴(とん)さんの話をよくしていました。里見さんは94歳まで生きたんですよね。「死は無だ」と里見さんから聞かされたと言っていました。先生も「死後の世界があるわけではなく、死は、ふすまを開けて次の部屋に行くようなもの」と語っていました。

 ぼくは京都・嵯峨野の寂庵(じゃくあん)で何度も、先生と二人で年越しをしてきました。最後の年越しになったのが、20年の暮れから21年の正月にかけてです。不思議と、死のことばかりを語るんです。それまで死について、そこまで多く話すことはなかったのですが……。

 ――どんな内容でしたか?

 「もう長くないわよ」「年を越すのもこれで最後」「来年の正月は生きていないね」と言うんです。いま考えれば予言しているようで、ドキッとします。それに「やっぱり死後の世界はあるような気がする」と語っていました。まさに自らの終末を悟っているようでした。

 先生は自分の目で死を見て、自分のペンで書き残したいと本気で思っていました。あの世に原稿用紙とペンを持っていき、こっちの世界にファクスか何かで送りたいと言っていました。自分の死んだ後を書きたかったんです。

 「自分の葬式も見たい」と言っていました。ああ、あいつは、あんなに悲しそうな顔をして葬式に来ているけど、本当は心の中で笑っているな、というのをすべて観察して、メモしておきたいと話していました。

 「先生、相変わらず、意地が悪いですねえ。でも、葬式を見たいというのは、よくわかります。ぼくも見たい」と、そんな会話をしたことを覚えています。みんなが思っていても口に出せないことを平気で言ってしまうのが先生です。それが嫌みにならない。子どもみたいなところがありました。

 ――「末期(まつご)の眼(め)」という言葉を意識していたそうですが。

 ノーベル賞作家の川端康成さんが使った言葉で、先生から末期の眼を初めて聞いたのは06年、84歳のときです。一期一会と似たような意味で、自然や芸術にふれるのも最後だと思って見たり聞いたりすることです。

 これが最後の桜かと思って眺める、あと何度、蛍を見られるのだろうと思って見る、もう大文字は見られないと思って見上げる。末期の眼で四季の移ろいを感じるのは豊かなことで、先生は、そういう感覚を最後まで大切にしていました。

 ――先生の最期には間に合いましたか?

寂聴さんのお通夜も密葬も、中村さんはカメラを持たずに行きました。記事の後半ではその理由が語られます。

 21年11月5日に病室に見…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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