政府と歩み、手のひらを返された 辺野古移設容認派のぬぐえぬ疑念

 那覇から北へ約50キロ。埋め立て工事を目と鼻の先に臨む辺野古の集落には、約1700人が暮らす。集落の一部には米海兵隊基地キャンプ・シュワブがかかり、日常的に実弾演習の音が響く。

 嘉陽宗司(かようむねつか)さん(40)は集落内でラーメン店を営む。客の多くは米兵だ。「地域の行事にも招待される米兵は隣人。辺野古は、基地とうまくやってきた」。それでも、移設計画には翻弄(ほんろう)され、思いは揺れてきた。

 移設先に辺野古が浮上したのは中学生のとき。集落内も賛否に割れ、自治会役員の父のもとには毎晩人が訪れ、険しい表情を浮かべていた。子どもが口出ししてはいけない問題、に思えた。

 政府と沖縄側の対立が、集落の日常を脅かしていると気づいたのは、約10年ぶりに地元に戻った2015年。国道には工事車両が列をなし、基地前では県内外から集まった人たちが反対の声を上げ、衝突が続いた。

 本音は反対。でも国が決めたことは覆せない――。「容認」が支配的となっていた辺野古集落、自分自身にも、反対する人たちの批判の矛先が向けられているように思え、胸が痛んだ。静かに生活させてほしい。反対する人たちにいらだちを覚えることもあった。

 一方、集落には自民党の顧問弁護団を名乗る見知らぬスーツ姿の男性たちが現れ、「何か困っていることはありませんか」と声をかけて回っていた。名前をネットで調べると、著名な弁護士だった。周囲の人は、地域振興の要望に熱心だった。

 安倍晋三元首相が主催した「桜を見る会」にも、区長や両親らと招待された。「辺野古の方です」と紹介され、名刺交換した名だたる閣僚から「よろしくお願いします」と頭を下げられた。

 基地問題よろしくという趣旨…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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