救済法対象外の原告らを「水俣病」と認定 国やチッソに賠償命じる

 メチル水銀を含む水が流された不知火海(しらぬいかい)沿岸で暮らしていたのに、水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済を受けられなかったとして、大阪府などに住む128人が国や熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、大阪地裁であった。達野ゆき裁判長は、沿岸で暮らした原告ら全員を水俣病と認め、1人あたり275万円の賠償を命じた。

 同種訴訟は、熊本や新潟、東京地裁でも起こされ、初の地裁判決。特措法の救済対象から漏れた原告らを幅広く水俣病と認め、救済制度の運用見直しを迫る形となった。

 水俣病は1956年に公式確認された。公害健康被害補償法に基づく認定患者は3千人。「政治決着」で約1万人に一時金260万円などが支払われたほか、特措法に基づき、特徴的な症状がある約3万8千人に一時金210万円などが支払われた。対象から漏れたり、申請できなかったりした原告らが提訴した。

 水俣病は、汚染された魚介類を食べることなどでメチル水銀に曝露(ばくろ)し、発症するとされる。熊本県などは特措法に基づき、不知火海沿岸のうち、水俣湾周辺の一部地域に、68年までに1年以上住んだことなどを救済の要件としてきた。

 判決は、毛髪の水銀値の調査などを踏まえ、低濃度でも長期間、メチル水銀に曝露すれば発症する可能性があるほか、長期間たってから発症することもあるとした。

 その上で、魚介類の流通状況などを踏まえ、特措法の対象地域外でも、不知火海でとれた魚介類を継続的に多食していればメチル水銀を摂取したと推認できると判断。水俣湾に仕切り網が設置された74年までに魚介類を多食し、感覚障害もある原告らについて水俣病と認めた。

 国や県は、責任が認められるとしても、不法行為から20年たつと賠償請求権がなくなる民法の「除斥期間」の適用を主張していた。判決は、除斥期間の起算点を水俣病と診断された時期とし、除斥期間が経過した原告はいないと判断した。

 一方、国と県は、60年1月以降に水質二法などで規制権限を行使しなかったことの責任を負うと指摘。同月以前に曝露したと認めた原告6人についてはチッソのみの賠償責任を認めた。(森下裕介)

水俣病をめぐる裁判の歴史

1956年5月 水俣病を公式確認

   59年12月 患者家族がチッソと見舞金契約

   69年6月 チッソ相手に1次訴訟を提訴

   73年3月 1次訴訟で原告が勝訴(確定)

   85年8月 主に未認定患者がチッソを訴えた2次訴訟の控訴審で原告勝訴(確定)

   87年3月 3次訴訟第1陣一審判決。国、熊本県の責任認める

   90年9月 東京訴訟で東京地裁が和解勧告。他の地裁も勧告するが、国は拒否

   95年12月 未認定患者に一時金などを支給する国の解決策が決定(政治決着)

2004年10月 関西訴訟最高裁判決で国、県の責任が確定し、未認定患者の救済も認められる。以降、患者認定申請が急増

   10年5月 水俣病被害者救済法(特措法)に基づく新救済策が開始(第2の政治決着)

   13年4月 水俣病と判断する条件を緩やかに解釈する最高裁判決

     6月 特措法で救済されなかった未認定患者が熊本地裁に提訴。「ノーモア・ミナマタ」2次訴訟とされ、東京、大阪、新潟でも同種の提訴が相次ぐ

   23年9月 大阪地裁でノーモア・ミナマタ2次訴訟の初判決

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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