旧ソ連軍侵攻、樺太「九人の乙女」の悲劇 減りゆく証言者

 終戦直後、日本領だった南樺太(現サハリン南部)へ旧ソ連軍が侵攻し、自ら命を絶った「九人の乙女」。歴史の教訓を胸に刻む平和祈念祭が、今年も乙女たちの命日となる20日、北海道稚内(わっかない)市で営まれる。2年後の戦後80年を待たずに、悲劇を語り継いできた証言者が次々と世を去っている。

 1945(昭和20)年8月20日、南樺太西岸の真岡(まおか、現ホルムスク)にあった真岡郵便局の電話交換手の女性たち「九人の乙女」が、ソ連兵による陵辱を恐れて、青酸カリなどを用いて自決した。

 「乙女」たちと同じ職場だった栗山知ゑ子さんは昨年8月30日、94歳で亡くなった。北海道和寒(わっさむ)町から約210キロ近い道のりを毎年のように平和祈念祭に駆けつけ、元同僚たちの遺影が並ぶ祭壇に手を合わせてきた。コロナ禍で縮小開催となった20年以降もマスクをして参列したが、昨年は欠席し、体調が心配されていた。

 長男敏秀さん(71)によると、栗山さんは昨年初めに膵臓(すいぞう)がんとわかり入院。いったん退院したが、自宅で腰を骨折して再入院し、転院先で息を引き取った。「最初はちょっとした発熱だったんです。昨年も平和祈念祭に行きたかったろうが病院のベッドの上。面会も制限され、思いを聞くことはできなかった」と敏秀さん。

 栗山さんは28(昭和3)年4月11日、南樺太の真岡に近い漁師の家に生まれた。小学生の時に父を亡くし、再婚した母親と真岡に移り住んだ。8人きょうだいの次女で、家計を助けるため、16歳で真岡郵便局の電話交換手になった。44年、終戦の前年だった。

 双方の電話回線を手作業でつ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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