東京大空襲の救済「終わっていない」 頭巾で訴え続ける83歳の思い

 戦時中、米軍の空襲で、何十万もの人たちが犠牲になった。生き残っても、数えきれない数の人たちが手や足を失い、大やけどを負った。疎開していた子どもたちは親を失って孤児となり、過酷な戦後を生きてきた。だが、そんな空襲の被害者たちには戦後、1円も支払われていない。国の謝罪もない。「戦争被害者の救済は、まだ終わっていません」。1945年3月の東京大空襲から10日で78年。河合節子さん(83)=千葉市=は国会前で防空頭巾をかぶり、道ゆく人たちに国による補償を訴え続けている。

火の海に消えた母と2人の弟

 東京大空襲があった日、この8日後に6歳になる河合さんは、茨城の親類宅に疎開していた。東京の方角が赤く染まっているのが見えた。その火の海で、母と幼い弟2人を失った。父は母らと一緒に逃げたが、大やけどを負い、耳や鼻、まぶたがとけ落ちたような状態になった。

 現在の東京都江東区深川に暮らしていた両親と弟たち。逃げる際、父は抱いていた長男を落としてしまった。すぐに抱き上げようとしたが、姿がなかった。大きな火災による竜巻のような風にさらわれたらしい。後ろにいるはずの妻と次男も消えていた。

 家族の命を守れなかったことを死ぬまで悔やみ続け、たびたび夢にうなされていた父の姿を、いまも思い出す。「本当に苦しかったと思います」。父の思いを振り返り、河合さんは声を詰まらせた。

「残された時間がありません」

 国は戦後、軍人や軍に付き従…

この記事は有料記事です。残り792文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment