歩道橋事故から22年、花火が明石の夜空彩る 再開願う人たちが企画

 2001年に花火大会の見物客11人が雑踏事故で死亡した兵庫県明石市で3日夜、打ち上げ花火のイベントが開かれた。事故から22年になり、中止が続く花火大会の再開を願って市民有志が企画した。

 市の記録によると花火大会は1979年から市の主催で開催され、夏の風物詩として親しまれてきた。

 しかし、01年に花火大会の会場とJR朝霧駅を結ぶ歩道橋上で見物客が転倒する雑踏事故が発生。以来、大会は開催されていない。

 一方、市内では「花火大会があると市民に一体感が生まれる」などと再開を望む声もあって、若手の商業者らでつくるグループ「明石あんしんプロジェクト」(後藤丈仁委員長)が開催を決めた。

 午後8時、色とりどりの花火約200発が5分ほどかけて打ち上げられ、明石の秋の夜空を鮮やかに彩った。

 会場を3カ所に分散し、事前に告知しない「シークレット方式」で打ち上げた。「まずは安全に開催する実績づくりを最優先した」と後藤委員長。来年以降は市と一緒になって今後のあり方を検討していきたいという。

 会場には事故で当時2歳の次男を亡くした下村誠治さん(65)ら複数の遺族も訪れた。下村さんは「事故で悪かったのは花火でなく警備計画。市民が再開に向けて声を上げるのは意義がある。ステップを踏みながら安全安心の新しい提案を明石からしてほしい」と話した。

 事故をめぐっては市が毎年7月21日に二度と事故を繰り返さないよう、市職員向けの研修などを開催。今年も春に入庁した新人職員が事故現場も訪れ、下村さんの話を聞いた。JR駅前の商業施設の広場ではパネル展が催され、事故現場の写真などが展示された。(天野剛志)

 2001年7月21日夜、明石市の大蔵海岸とJR朝霧駅とを結ぶ歩道橋上で、花火大会の見物客が押し合いになって倒れ、子ども9人と高齢者2人の11人が死亡、247人が負傷した。狭い空間で人が次々に折り重なる「群衆雪崩」が起きたとされる。雑踏警備のあり方が問われ、当時の明石署地域官や市幹部ら5人が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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