残るガラスの傷、がれき下の記憶 あの日4歳だった女性が伝える思い

 広島市に原爆が投下されて6日で78年が経った。名古屋市中区の「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」でこの日、4歳の時に被爆した女性が自らの体験を語った。「記憶のある被爆者が少なくなっている。若い人たちにも広島、長崎で起きたことを知ってほしい」。女性はそんな願いをこめて訴えた。

 約20人を前に語ったのは、愛知県春日井市の水野秋恵(ときえ)さん(82)。1945年8月6日、爆心地から1・2キロの広島市水主(かこ)町(現・同市中区)で被爆した。

 あの日はよく晴れた暑い日だった。二つ下の弟と近所の家にお菓子をもらいに行ったとき、「真っ暗になってパーッと光が入ってきた」。気付いた時はがれきの下敷きになっていた。近くにいた軍人が引っ張り出してくれたことは覚えているが、記憶は断片的だ。

 飛び散ったガラスが顔や腕に刺さり、血まみれになった。30代後半で手術をして取り除くまで、左ほおにはガラスが埋まっていた。

 母、弟、祖母と逃げる途中…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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