母と弟包んだ炎、数日後に芽吹いた菩提樹 語り継ぐ決意と遠のく記憶

 400年以上の歴史を持つ広島市中区の宝勝院。本堂に足を踏み入れると、荘厳な装飾に囲まれた本尊が鎮座し、静粛な空気が漂う。爆心地から1・7キロ、この寺院に生まれた名誉住職の国分良徳(くにわけよしのり)さん(93)は、この場所で被爆した。77年前の記憶をひとつひとつたぐり寄せ、ゆっくりと語り始めた。

朝日新聞広島版で14年続く連載「聞きたかったこと」。 約400人が被爆体験とその後の人生を語ってくれました。被爆77年の今年、忘れられない「あの場所」で再び話を聞きました。 当時の記事も再録しています。

 「母の炎は、弟の炎はどれだろう」。原爆が落とされた日。国分さんはゆらゆらと揺れる炎をぼんやり眺めていた。母と1歳の弟が下敷きになったまま、崩れた本堂は火柱をあげ燃え続けた。「母と一緒に死ねばよかった」。16歳で訪れた突然の母との別れに、立ち尽くすしかなかった。原爆で2人の妹も失った。

 戦後、バラックでの生活を経て、1951年に本堂を再建。後に父を継いで住職となった。

 80歳を過ぎて、原爆の日の…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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