母の弁当、特別おいしかった 被爆の朝、最後の「行ってきます」

 「母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは思いもしませんでした」

 広島市松井一実市長が8月6日の平和記念式典で読み上げた平和宣言で、冒頭に盛り込まれたのは、広島県神石高原町の上田桂子さん(93)の体験だった。

 上田さんは「私の体験を伝えていただき、感激しました。母が見ているような気がして、感謝の気持ちがこみ上げました」と話した。

 77年前の8月6日、広島女学院高等女学校(現・広島女学院中学高校)4年だった上田さんは、学徒動員先の府中町の工場に向かうため、広島市下柳町(現・中区銀山町)の自宅を出て、広島駅に向かう途中で被爆した。

1週間分の配給肉、すき焼き風の煮物に

 自宅近くで美容室を経営して…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment