水俣病救済法10年、遠い最終解決 線引き1700人超の訴訟なお(西日本新聞)

 水俣病の未認定患者を「あたう限り全て救済」するとした水俣病被害者救済法の成立、施行から今月で10年を迎えた。熊本、鹿児島両県で3万6千人余りが救済されたが、居住地や年齢などの線引きで対象から外れるなどした1700人超の訴訟が今も続く。一方で「水俣病問題の最終解決」を掲げた救済法に基づき、原因企業チッソは分社化を実現。子会社の上場、株売却を経て、チッソ本体の清算・消滅も視野に入れるが、見通しは立っていない。

【画像】2004年以降の水俣病被害者救済法を巡る主な出来事

 「会社は、ご恩を忘れておりません」。7月初旬、熊本県水俣市の近郊。手土産を携えたチッソ東京本社の幹部が、未認定患者団体の役員に深々と頭を下げた。年に数回あるという定期的な面会。「いまだにむげにできない、ということだろう」と役員は語った。

 2009年7月に成立、施行された救済法は、認定患者に「準ずる」人に一時金や療養費を支給するとした上で、財源を賄うためチッソに有利な経営形態への見直しも盛り込んだ。チッソ清算に向けた手順も明文化され、「被害者ではなく、チッソ救済のための法律」と指摘する声もある。

 患者への補償や債務の返還を担う親会社と、事業部門の子会社に分離することで、子会社の信用力が高まる-。10年来、分社化を「宿願」としてきたチッソ。当初は救済法に難色を示したが、分社化容認の流れが強まると一転、前向きな姿勢に。主力の液晶事業が好調なうちに分社化を達成しておきたい、との思惑もあったようだ。

 チッソ幹部と今も定期的に面会する団体役員は当時、独自に掘り起こした被害者ら4千人近い会員を束ねていた。「数の力で救済策を引き出した」との自負も強い。分社化に反発する患者・被害者団体が多い中、いち早く賛同を表明。1995年の政治解決以来となる2度目の救済策に二の足を踏むチッソを引き込むため、分社化を認めた自民党案を陰に陽に後押しした。チッソにとっても「会社の前途を切り開いた功労者」(役員)というわけだ。


【関連記事】


Source : 国内 – Yahoo!ニュース

Japonologie:
Leave a Comment