水俣病被害者の分断解く、無記名慰霊 30年の葛藤越え「まず一歩」

 水俣病の公式確認からまもなく67年。毎年の犠牲者慰霊式で奉納されてきた死没者の名前を記したプレートが、今年から無記名になる。患者認定の有無で被害者の間に生じていた「分断」を解き、広く慰霊したいと、30年以上の議論を経てたどりついた落としどころだ。

刻まれる名前は「認定患者」だけ

 熊本県水俣市では、患者の発生が公式確認された1956年5月1日にちなみ、この日に慰霊式が開かれる。96年からは、新たに亡くなった水俣病患者の名前を、遺族の同意を得て銅製のプレートに刻んで奉納してきた。ただ、それは、国が定めた基準で水俣病とされた「認定患者」の名前だけ。未認定の患者は対象外だった。

水俣病と患者認定

化学メーカー・チッソの水俣工場の廃水に含まれるメチル水銀が引き起こした公害病で、患者かどうかは、熊本県と鹿児島県が公害健康被害補償法(公健法)と国の基準に基づき認定する。2013年の最高裁判決は感覚障害だけでも認定できるとしたが、国は手足の感覚障害に加え、視野狭窄(きょうさく)や運動失調など複数症状の組み合わせを事実上必要とする1977年の基準を現在も重視。申請した3万2901人のうち、認定患者は2284人にとどまる。一方、未認定患者のうち、「政治決着」により一時金などが支給された人は第1の決着(1995年)で約1万人、第2(2009年)で約3万6千人、計約4万6千人とされる。被害は数万人に及ぶとみられるが、全体像は把握されないままだ。

 今年奉納するプレートには、死没者の名前はなく、《これまでに水俣病の犠牲となって亡くなられた全ての生命に慰霊の祈りを捧げる》と刻まれる。認定患者も未認定患者も、被害者を分け隔てなく慰霊することを示すメッセージだ。

 「長く議論してきたが、『もやい直し』を形あるものにする大きな一歩だ」。認定患者の一人で、昨年末まで慰霊式実行委員会の委員長を6年務めた緒方正実さん(65)は語る。「もやい直し」とは、船と船をつなぎ合わせるという意味の言葉にちなみ、水俣病で壊れた市民の絆を取り戻す取り組みを指す。

差別へのしこり

 未認定患者を対象外としてきた背景のひとつには、被害発生初期に患者が住民から差別されたことへの感情のしこりがある。

 病気の実態がわからなかった当初、発症した認定患者は、地域で差別や偏見に苦しんだ。感染症が疑われ、店でお金を手渡すのさえ拒まれることもあった。

 会社と言えばチッソを指す「企業城下町」にあって、患者がチッソを相手に裁判を起こしたときは、市民から「そんなに金が欲しかか」「会社がつぶれたらどげんすっとか」と非難された。

 だが、発症者は徐々に増え、国が認定基準のハードルを上げた1977年以降は、それまでの認定患者と同じ症状がありながら未認定となる患者も急増。認定を求める運動が盛んになった。

 そうした未認定患者の中には…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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