決壊した堤防の切れ目、誰が塞ぐべきだった? 県と市が押し付け合い

 堤防の切れ目から水があふれて決壊に至った――。5年前の西日本豪雨でそう指摘された場所がある。この切れ目を誰が塞ぐはずだったのか、責任の所在は今もあいまいなままだ。こうした切れ目「陸閘(りっこう)」がどう管理されているのか、総務省も調査している。

 陸閘は普段は人が通れるように堤防の一部を切り開き、いざという時は板や扉で閉鎖し、水の流入を防ぐ施設だ。

 西日本豪雨で大規模浸水し51人が死亡した岡山県倉敷市真備町では、堤防8カ所が決壊した。その1カ所が、当時は両岸の堤防の切れ目に渡したような構造だった有井橋(ありいばし)の間近だ。陸閘が閉められず、橋の部分から末政川の水があふれ、堤防ののり面を削ったと推定されている。住宅が並ぶ一帯は深く浸水した。

県も市も「管理者ではない」

 誰が管理していたのか。真備町の住民らが県や市などに損害賠償を求めている訴訟で、県と市が責任を押しつけ合っている。河川や堤防を管理する県と、道路を管理する市がいずれも「管理者ではない」と主張しているのだ。

 国土交通省によると、河川の陸閘の管理は「河川管理施設」なら河川管理者、河川管理者に許可を得て作った「許可工作物」なら作った道路管理者らが担う。ただ、どちらに該当するのか明確な基準はなく、個別に判断されるという。有井橋がある旧国道は2007年に県から市に移管された。県は「陸閘を含めて移管した」と主張。一方、市は「陸閘に関する書面も封鎖用の板も受領していない」と否定する。

 堤防には板をはめるような溝があったが、肝心の板は行方不明だ。そもそも、幅員は10メートル超あったが、どんな板で塞ぐのか、どの時点で誰が作業するかなどのマニュアルも確認されていない。

 市は豪雨の夜、地元建設業者に土囊(どのう)を積むよう依頼した。「県が管理する堤防の一部をなす施設だが、市民の生命を守るため」(市議会での答弁)。だが、連絡を受けた「オカジュウ」相談役の佐伯修さん(66)が向かうと、すでに橋の上は水があふれ、諦めざるを得なかったという。

 東日本大震災では、水門などを閉めにいった消防団員らが津波の犠牲になった。河川の陸閘でも、操作に向かった人に危険が迫る可能性もあり、国は安全を考慮した操作基準を作るよう管理者に求めている。

板「なし」「不明」が続々…

 管理が不十分だったのは有井…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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