燃える首里城を二度も見た 沖縄戦の語り部、重なる光景

 首里城(那覇市)の火災から7日で1週間。燃え上がり、がれきとなった正殿の姿に、74年前の記憶を呼び覚まされた人たちがいる。沖縄戦の体験者たちだ。米軍の攻撃によって跡形もなく破壊され、戦後復元された正殿などは、平和の象徴でもあった。

 那覇市の島袋文雄さん(89)はこの1週間、気分がふさいでいる。沖縄のシンボルと思っていた首里城の大半が失われ、ショックを受けた。さらに、燃え盛る様子が繰り返し報道され「沖縄戦を思い出す」。

 米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月。砲弾や爆弾が降り注ぐ中、住民は逃げ惑った。島袋さんの家族も4月下旬、本島中部の壕(ごう)を出た。南へ向かった数時間後、たどり着いた首里は住民や兵隊であふれていた。龍潭(りゅうたん)の池に差し掛かると、その向こうに炎上する首里城が見えた。

 感傷にひたる余裕はなく、南部に逃げた。母は砲弾で胸をえぐられ、目の前で息を引き取った。

 戦後、島袋さんは飛行機の音に…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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