父との面会交流「考えただけで…」 恐怖に支配され育った女性の思い

 親が離別した後、別居する親と子どもが会う面会交流。養育費の分担などとともに、面会交流の取り決めを協議離婚の要件とする案も検討されていますが、これに反対し、「面会交流を強制しないで」と訴える人もいます。関東在住の40代女性に話を聞きました。

「銀行強盗に行く!」と暴れた父

 子ども時代に私を支配していた感覚は「恐怖」でした。当時の写真に笑顔のものはありません。父は家の外では人当たりが良く、良い夫であり父だと思われていましたが、家では暴力をふるい、母がお金がないと言うと「じゃあ銀行強盗に行く! おまえが俺を銀行強盗にするんだ!」と暴れる。母は殴られて失明寸前になり、私も耳の鼓膜が破れました。でも病院では「転んだ」とごまかしました。

 逃げても待ち伏せされ、駆け込んだ警察署では「きみのお父さんだよ。素直になってきちんと話しあいなさい」。父は「母親が急に子どもを連れ去った」と母を非難しました。父のことを悪く言うと仕返しされるから、本当のことは言えませんでした。

 最後にはなんとか逃げましたが、私は高校をやめざるをえず、その後も母は離婚できませんでした。父と会うなんて恐ろしいし、弁護士さんに頼むのはお金がかかるし……と考えているうちに父が死にました。

 私は別の高校を卒業して大学にも入ったけど、父ぐらいの年齢の人を見ると恐怖を感じました。大学もやめてしまい、恋愛をしても男性と対等な関係を築けずに依存して、別れて会社もやめるなど、常に中途半端でした。

ずっと36歳になりたかった

 周りからは「お父さんのことを悪く言っちゃだめだよ」と諭されるから、誰にも言えませんでしたが、変わったのは36歳のときです。

 ずっと36歳になりたいと思…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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