父の「行くな」で生き延びた 沖縄戦の元学徒が誓う平和への願い

 戦後78年の「慰霊の日」を迎えた沖縄では23日、犠牲者を悼み、平和を祈る行事が各地で行われた。沖縄での防衛力強化をめぐり、玉城デニー知事が平和宣言で「苛烈(かれつ)な地上戦の記憶」と重ねたのと同様に、沖縄戦に動員された元学徒らは懸念を示した。

 那覇市の上原はつ子さん(94)はこの日、沖縄戦で学徒動員されて犠牲になった同級生ら約60人を悼む糸満市の「梯梧(でいご)之塔」を訪れた。

 78年前、那覇にあった昭和高等女学校の3年生だった。授業はなく、陣地構築にかり出されたり、包帯の仕方など看護の講習を受けたりした。帰り道に友人と軍歌を歌い「国や天皇のために私たちも戦う」と疑わなかった。

 米軍が沖縄に迫った1945年3月末、空襲があった。兵隊の宿舎になっていた学校に看護のため向かおうとすると、父に「行くな」と止められた。看護に加わった同級生の中にはその後、戦闘に巻き込まれて亡くなった人もいた。「ショックでね。焼け野原を見ていると、自分も死んだ方が良かったんじゃないかと悩んだ」

 沖縄戦で戦場に動員された県…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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