猛火に囲まれた遊女、弔い今も 吉原弁財天・東京都台東区

会員記事

文・西本ゆか、写真・相場郁朗

吉原弁財天の中央に立つ観音像=2021年10月26日、東京都台東区千束、相場郁朗撮影

 関東大震災で被災した遊女らが息絶えた池の名残を残す弁財天。観音像の顔(かんばせ)は憂いを秘めて美しく、見つめる私もいつしか安らぐ。

 艶(なま)めきそよぐ「見返り柳」に見送られくにゃりと曲がる道を進めば、集う客には大きく開き、遊女には固く閉ざした「吉原大門」の跡を伝える街路灯が見えてくる。関東大震災が起きた日に猛火の中を大門に背を向け逃げた遊女は、ほとりに弁天様を祭る廓(くるわ)の池に次々飛び込み、折り重なって息絶えた。

 悲劇の3年後に遊女らを悼んで建立された「吉原観音」が静かに佇(たたず)む「吉原弁財天本宮(もとみや)」(東京都台東区)は、昭和の初めに徒歩数分の「吉原神社」へ合祀(ごうし)された飛び地だ。戦後の再開発で埋められた池の名残を境内にとどめ、夜の街で働く男女が今も祈りに訪れる。

関東大震災の火を逃れ、多くの遊女が飛び込んだ弁天池の名残が境内に残る。鮮やかなニシキゴイが泳いでいた=東京都台東区千束、相場郁朗撮影

 一歩入ると街の音が遠のき、静寂に包まれるよう。仰げば銀杏(いちょう)や桜の梢(こずえ)、名残の池にはニシキゴイ。地蔵や石碑が並ぶ石畳の道は地元の有志がこまめに清め、朽ち葉ひとつないほど美しい。

 10月下旬、つるべ落としの残照にますます赤い境内の幟(のぼり)が線香の煙をまとって揺らめいた。一心に経を唱えるのは作家で僧侶の家田荘子さん。1999年秋から毎月欠かさぬ遊女供養だ。

吉原弁財天本宮。遊女たちを供養する家田荘子さんの読経が続いていた=東京都台東区

記事後半では、地元で人気のグルメスポット紹介や会員登録すると応募できるプレゼントもあります。

 初めて訪れた時は苦しむ顔が…

この記事は会員記事です。残り838文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment