生まれ故郷で農園をする決断 「シビアな世界」で政治に思うこと

 参院選が公示されました。コロナ禍、ウクライナ危機、価格高騰など、誰もが予想しなかった時代を生きる私たち。生きる源となる「食」を通じて、人々の思いを聞きました。

#食べる・生きる・考える

 赤紫色が鮮やかなサニーレタス、青々とした茎ブロッコリーに、黄緑色が映えるハーブの一種、フェンネル。大阪府能勢町の山あいに広がる畑で、農家の森畠正輝さん(32)は収穫した野菜を手に「採れたてなんで新鮮ですよ」と笑った。

 能勢町で生まれ育った一人っ子。大学生の頃から地元で農業をしたいと思っていた。勉強の意味も込めて卒業後は名古屋市の青果仲卸会社に入社。営業担当として国産メロンをスーパーや小売店に販売した。

 だが、能勢町で大規模に野菜を育てる場所がないといった「農業の現実」を知り、農業で生計を立てるイメージがわかない。「農業の世界からしばらく離れよう」と人材派遣会社に転職。その後実家に戻り、大阪市内の商社で働いた。

 転機は、ある農家との出会いだった。「人を紹介したろか」。趣味のソフトボールのチーム監督から、能勢で農業を営む町外出身の男性を紹介され、話を聴くと、多品種の野菜を無農薬で栽培し、個人宅に直接届けていた。他の農家数人にも話を聴けた。

 「10年ほど地元を離れていたけど、町外から来た人たちが農業でしっかり生計を立てているのを初めて知った。自分もやれるんじゃないかと思った」

商社を辞め、農業の道へ

 商社を辞めて2020年5月から、最初に話を聴いた農家に栽培技術や販売方法を学びながら、町内で野菜を育て始めた。

 「森畠農園」を開き、今はピーマンやズッキーニ、万願寺トウガラシ、インゲン豆など40~50種類の野菜や米、町特産の銀寄(ぎんよせ)栗を栽培する。面積も増やし続け、畑は9千平方メートル、田んぼは5千平方メートル、栗山は3千平方メートルまでに広げた。野菜は農薬や化学肥料を使わず育てる。

 当初は町内の道の駅などに出荷していたが、販路も個人宅に野菜セットを定期宅配する会社や、八百屋、小売店へと広げた。

 農業を始めた頃は新型コロナウイルスの感染拡大で飲食店の休業が相次いでいた時期。「不安はあった」が、自宅で食事をする人が増えた影響で取引先の販売会社の売り上げが伸び、栽培量が増えるにつれ販売量も増えた。「地場の野菜を扱いたい」と依頼され、兵庫県川西市と大阪府豊中市にある「無印良品」2店舗にも出荷するようになった。

就農希望者を後押しする仕組みづくりを

 ある挑戦もした。府などでつ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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