目の前にいたオヤジは死んでいた 偽書類に最期まで信念

 中学3年のときだった。高校受験のために戸籍謄本を取り寄せると、父親欄に「×」印が入っていることに気づいた。

 「うん? 当のオヤジは目の前でたばこを片手に机に向かっているぞ」

 母にこっそり尋ねた。「あの人、いろいろあって、死んでるのさ」。そんな返事に目を丸くした。

 父は過去に自分の戸籍を消していた。だが、税金を納め、選挙で投票もしていた。

 いったい、どういうことなのか。

役場から「火葬証明か埋葬証明を送れ」

 山田繁彦さん(80)=山梨県甲斐市=の父、多賀市(たかいち、本名・多嘉市)さんが戸籍を消そうとしたのは1943年、35歳のとき。太平洋戦争のさなかだった。

 多賀市さんは農民解放の運動に身を投じた後、作家として活動していた。旧知の医師に「小説を書く資料につかう」と言い、白紙の死亡診断書をもらった。そして、こう書き込んだ。

 死者:山田多嘉市

 死因:肺結核

 死亡年月日:昭和十八年四月五日

 診断した主治医も架空の名前。診断書の偽造だった。筆跡を隠そうと、利き手ではない左手で書き、故郷の長野県三田村役場(現在の安曇野市)へ送った。妻にも友人にも内緒だった。

 1週間後、役場から「火葬証明か埋葬証明を送れ」とはがきが届く。

 妻は首をかしげていたが、運を天にまかせ、放っておいた。結局、戦地へ行かず終戦を迎えた。

留置場の中で思いついた大胆な手口

オノで自ら指を切断したり、絶食して検査に臨んだり…。徴兵を拒む行為は少なくありませんでした。

 当時、日本には「国民皆兵」…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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