眼下の黒煙、真珠湾の朝 102歳元搭乗員がいま語る

 「どこか遠くにいくのだろうか」。1941年11月18日、大分・佐伯湾を出港した日本海軍の空母「蒼龍(そうりゅう)」。艦載機の搭乗員だった吉岡政光さん(102)=東京都足立区=はそんな思いを巡らせていた。

 集結した空母・赤城(あかぎ)や飛龍(ひりゅう)なども出港した。ただ、いつもは事前に伝えられる行き先がわからない。

 甲板に出る通路に、ずらりと並んだ重油入りのドラム缶。凍結を防ぐためか、甲板のパイプ類には石綿が巻き付けられていた。一方で、半ズボンを積み込んだという話も聞いた。

 寒いところへ向かうのか、暑い南方か。三重の伊勢湾近くにさしかかると、号令が響いた。皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる伊勢神宮の方向に、敬礼しろという号令だった。

 「総員、敬…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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