秀吉最後の城、京都で見つかる 「今世紀最大の発見」

 豊臣秀吉が死去する前年の慶長2(1597)年に築いた「京都新城(しんじょう)」の遺構とされる石垣と堀の跡が初めて、京都御苑(京都市)の一角で見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が12日発表した。新城に関する資料はほとんどなく、どのような建物だったかを示す物証もなかったため、専門家は「日本の城の発掘で今世紀最大の発見」と言う。

 新城は、大坂城(大阪市)や聚楽第(じゅらくだい)(京都市)などの城を作った秀吉が最後に作ったとされる。

 当時の公家の日記などによると正式名称はなく、「太閤御屋敷」などと呼ばれていた。京都御所の南東にあり、屋敷の範囲に触れた日記の記述をもとにすると、敷地面積は甲子園球場約8個分にあたる約32ヘクタール。息子の秀頼が官位を授けられる際に滞在したほか、秀吉が1598年に死去した後は正室の北政所(きたのまんどころ)(高台院(こうだいいん))が利用した。敷地は徐々に縮小し、1624年に北政所が死去した後に完全に壊されたとされる。

 石垣と堀は、退位した天皇の御…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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