空襲体験、絵や紙芝居で伝える元美術教師 写真家大石芳野さんが取材

 終戦2週間前に富山市を襲った大空襲。その体験を絵や紙芝居で伝える元美術教師の徳永幸子(ゆきこ)さん(85)=神戸市東灘区=がこの夏、富山へ帰省し、空襲の記憶と向き合った。8月20日には、写真家との出会いもあった。

 1945年8月2日未明。米軍が焼夷(しょうい)弾の雨を降らせ、富山市を破壊。推定3千人が犠牲になった。

 当時7歳。国民学校(小学校)1年生だった。1日夜の空襲警報解除で、避難した市民が市中心部へ戻るなか、徳永さんは「帰らん」と家族に言い張った。肺炎を患い、2カ月ぶりの外出だったこともあった。

【富山大空襲】1945年8月2日未明、米軍のB29爆撃機170機以上が約2時間にわたり、大量の焼夷弾を富山市に投下。一夜にして目標の99・5%を破壊した。死者は推定3千人。同じ時期に新潟県長岡市、東京都八王子市、水戸市も空襲された。

■「3分の1の確率」で生き延…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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