筒美京平さん、名曲の裏にあった戦略 米津玄師にも影響

 作曲家の筒美京平さんが7日死去した。歌謡曲の世界に、徹底して研究した洋楽のサウンドを取り入れ、日本のポップミュージックの新たな地平を開いた。斬新でありながらどこか懐かしい哀愁があるメロディーは、聞く人の琴線に触れ、日本の歌謡・ポップス史に燦然(さんぜん)と輝くヒット曲を数多く生み出し続けた。

 明るいメジャーコードと、ぐっと哀愁のあるマイナーコードを巧みに行き来しながら、感情を揺さぶるメロディーだった。オリコンによると、作曲したシングル曲の総売り上げは7560万枚で、日本の歴代の作曲家で1位に位置する。

 マイルス・デイビスやアート・ブレイキーといったモダンジャズ全盛だった時代に、青山学院大学に入学し、ジャズに傾倒。ピアノを弾いた。大学の先輩で作詞家の橋本淳に誘われ、作曲家を志した。レコード会社・日本グラモフォン(当時)の社員を務めながら、仕事が終わると、作曲家のすぎやまこういちの家に行き、日々作曲を学んだ。

 天才でありながら、戦略家でも…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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