箱根駅伝「花の2区」区間新の東洋大・相沢の隣にライバルとモグスがいた…元箱根ランナーの漫画家・高橋しんさんイラスト寄稿(スポーツ報知)

 現実のライバル、伝説のランナーとの並走―。1987年の箱根駅伝で山梨学院大のアンカー10区を走った漫画家・高橋しんさん(52)が3日、今レースで最も印象に残ったシーンを描いたイラストをスポーツ報知に寄せた。「花の2区」で区間新記録を樹立してMVPに輝いた東洋大・相沢晃がデッドヒートを繰り広げていたのは東京国際大・伊藤達彦、そして区間記録を持つ2009年の山梨学院大・モグスだった。元箱根走者が一枚のイラストに込めた思いとは。(構成・北野 新太)

 「ああ、駅伝ってこれだよなぁ、いいなぁ」って熱いものを感じて、描こうと思いました。2区で東洋大の相沢君と東京国際大の伊藤君がデッドヒートを繰り広げたシーンです。

 つばぜり合いを耐えて制した相沢君は区間新記録を樹立しましたけど、あの強い記録が生まれた背景には、ライバルと競り合う苦しさや厳しさをプライドで乗り越え、ベストパフォーマンスに結びつけた過程が必ずあると思うんです。

 駅伝って、陸上の中でも珍しい種目だと思うんですよ。よくチーム競技と語られますよね。指導者やサポートメンバーがいて、チームメートとタスキをつないでいく。でも、走る時は必ず1人なんです。

 陸上の長距離種目ではトラック、ロードレース、マラソンでもチームメートや仲間と走るケースがあります。存在が支えになったり、実際にペースメイクしたり給水でサポートし合ったりすることもありますけど、駅伝は必ず1人です。絶対に仲間とは走れない。

 自分にとって力に、味方になるのは敵。共に走るライバルなんです。今回の2区にはそのことを強く感じました。実際、レース後のインタビューで相沢君は「区間新は伊藤君のリズムに合わせて走っていたおかげ。伊藤君をライバルと思っていましたし、ずっと勝ったり負けたり。最後に一緒に走れることができてよかったです」と話していた。伊藤君も「ずっと相沢君のことは意識していた。いちばん戦いたかった相手だったのですっごく楽しかったです」と言っていました。

 個人的には、さらに相沢君はもう1人のランナーとも並走していたように思えるんです。(高橋さんの後輩でもある)2009年のモグス君です。時代は移り変わってもタイムという指標は変わりません。彼が残した1時間6分4秒という記録をどこかで意識して走っていたからこそ、5分台の区間新を記録して時代と歴史を超えた。3人が並走している今回のイラストには、箱根駅伝というレースが未来に向かって進化していく思いを込めました。

 箱根を走ってから33年が過ぎました。漫画を別にして、自分が胸を張れること、自分が唯一持ち得ているものはずっと箱根を走った経験でした。その経験は、今は新しい何かに挑む時の礎になっています。今年、母校の連続出場は途絶えてしまいましたけど、選手たちには「連続何年」などではなく、先輩たちの残した経験を踏み台に、仲間とともに自分たちの新しい挑戦のために戦ってほしいです。

 今年、駅伝をテーマにした新作を発表できたらと思っています。新しい時代に入っている駅伝のことを、そして走ることの美しさを伝えられたらと思っています。(談)

 ◆2区VTR 14位でタスキを受けた相沢(東洋)が13秒差で前を行く13位の伊藤(東京国際)に一気の加速で追いついた後、両者は約20キロ(全区間23.1キロ)にわたってマッチレース。抜け出した相沢は1時間5分57秒をマークし、2009年にモグス(山梨学院)が記録した1時間6分4秒を超える区間新記録を樹立。伊藤も歴代3位タイの1時間6分18秒を記録。相沢は最優秀選手賞「金栗四三杯」を受賞した。

 ◆高橋しんさんの箱根駅伝 1987年、山梨学院大は創部2年目で初出場。総合15位だったが、1年生の高橋さんは復路10区アンカーを務めて区間11位と奮闘した。中距離選手でもあり、2年以降は山下り6区での出場を目指したが、実現しなかった。以来、山学大は32年連続出場を継続していたが、昨年の予選会で敗退。連続出場が途絶えた。

 ◆高橋 しん(たかはし・しん)本名・高橋真。1967年9月8日、北海道士別市生まれ。52歳。士別高から山梨学院大に進み、箱根駅伝、全日本大学駅伝などに出場した。90年に「好きになるひと」で第11回スピリッツ賞を受賞してデビュー。代表作に「いいひと。」「最終兵器彼女」など。2016~18年、初めて駅伝をテーマにした「かなたかける」を発表。現在は「MELODY」(白泉社)に「髪を切りに来ました。」を連載中。今年、再び駅伝をテーマに新連載を準備中。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

Japonologie:
Leave a Comment