終戦の日の靖国神社、戦後75年の朝 猛暑とコロナでも長い参拝の列、石鳥居には時代を映す横断幕(withnews)

由来は戊辰戦争

皇居の近く、東京都千代田区にある靖国神社の境内で、拝殿に至る内苑の「神門」が開くのは午前6時です。間に合うよう地下鉄で九段下駅に着き、明け方の坂を上ると大鳥居(第一鳥居)に着きます。高さ25メートル。ここから神社の外苑になります。 境内の木々から降り注ぐせみ時雨の中、100メートルほど行くと中央広場です。高々とした台座には大村益次郎の銅像。明治維新を経て歩み始めた近代国家・日本で軍隊創設に尽くしたことで知られますが、靖国神社の創設にも深く関わっています。 靖国神社の由来は1869(明治2)年に遡ります。戊辰戦争で大村も加わった官軍に多くの死者が出て、明治天皇が慰霊のためこの地に「招魂社」を設立。1879年に靖国神社と改称されました。 以来、第二次大戦に至るまで「国を守るために尊い命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています」(靖国神社「参拝のしおり」)。 まだ午前6時前で、参道に人はまばらです。横断歩道を渡り第二鳥居をくぐると神門(しんもん)ですが、まだ閉まっています。直径約1.5メートルもある金色の菊の紋が二つ並ぶ両扉の前で、百人ほどが待っていました。 もうすぐ開門なので撮影しようと神門に近づいていくと、「おい、朝日新聞」とそばで大きな声がしました。

「おい、朝日新聞」

見知らぬ年配の男性で、私の腕章で朝日新聞の記者と知ったようです。報道に不満があるそうで、「おい、朝日新聞がここにいるぞ」とさらに声を上げました。周囲の人たちの顔が一斉にこちらを向きます。 取材優先。そもそも靖国神社の決まりで境内では参拝者にインタビューできないので、男性に「おはようございます」とだけ言って離れました。そのうち扉の向こうから「君が代」の笛の音が聞こえてきました。開門です。 参拝者が神門を通る様子を撮影していると、別の若い男性が後から近づいてきました。私にじっとスマホをかざし、私がそちらを向くとやめて参拝者の中へ紛れていきました。 その後は人の波は黙々と拝殿へ向かい、一安心しました。老若男女が軽く頭を下げては、中門鳥居を次々とくぐっていきます。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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