結婚相手は似た人になりました 中井美穂さんが語る父への思い

 10年前、がんで79歳で亡くなりました。私に知識があれば、治療選びや痛みへの対処をもっとやってあげられたのに、との悔いがあります。今、がんの啓発に関わるのは、父へのそんな思いもあってのことですね。

 日本航空の社員でした。仕事で米国にいたときに私が生まれました。パイロットなどではなく、ごく普通の会社員。東京の健康管理室で働いたり、モスクワ支店長を務めたりしました。

 幼い頃は、よく公園に連れていってくれました。優しくてかっこよくて、大好きでした。母よりも私のことの方がきっと好き、なんて思っていました。

 父は、父の伯母の養子に入り、私にとっては祖母となったその伯母と私、弟、母の計5人で暮らしていました。祖母はしつけに厳しく、昔の価値観が強い人。専業主婦の母は細かく言われて大変そうで、私はよく祖母に反発していました。

 例えばお風呂は「家長」の父が最初。六つ下の弟が生まれたとき、祖母たちが「男の子だ」と喜ぶ様子に、「私は?」と違和感を抱いたこともあります。

 ただ、父は単身赴任の経験もあり、洋服の片付けや料理など、何でも自分でできました。結果から言うと、似たタイプの人(元プロ野球選手の古田敦也さん)と結婚しましたね。

 「好きなようにやりなさい」と私の進路に口出しすることはありませんでした。ただ、アナウンサーとしてテレビに出たり、プロ野球ニュースを担当したりというのは思いもよらないことで、驚いていました。「顔と名前が出るから責任があるよ」「組織の一員なんだから」なんて言っていたのは、会社員経験からの助言でしょう。

 私は30歳で結婚するまでず…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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