維新の敗北は本能寺の変と似ている~明智光秀は誰だ?(歴史家・評論家 八幡和郎)(選挙ドットコム)

明智光秀に織田信長が殺された本能寺の変を、当時の人々はさほど意外と思わなかった。光秀が主役になるというのは、驚きだったが、信長は十分に恨みをかっており、政変はありうることと見られていた。安国寺恵瓊が「高転び」を予想していたのもよく知られている。 信長は人気がなかったのである。江戸時代になっても、徳川幕府も、秀吉を批判する理由として織田家への冷遇を使ってもよさそうだが、そういうこともなかったし、織田家の復権もなかった。信長が評価されるようになったのは、司馬遼太郎以降といってよい。 今回の維新の敗北は、油断が原因だが、小さな偶然の産物でなく、維新の本質に根ざしたもので、そこを考え直さないと、大阪でも安定しないし、全国展開も難しいのでないか。

維新の非情さが仇になった

大阪都構想が否決という結果になった。といっても、大阪府全体で投票していたら、賛成派が勝利しただろうし、出口調査と同時に行われたアンケートでは、維新の府市政には、肯定的な評価が圧倒的だったから維新路線の敗北ではない。 二年半後の府知事と大阪市長の同日選挙では吉村知事の再選は間違いないわけで、大阪市長選挙で引退を表明している松井市長に代わる候補が勝てるかどうかが天王山となる。 この投票結果について面白いと思ったのは、国際政治評論家の白川司さんが「 維新の凋落のきっかけは、丸山穂高氏を守らなかったことだと思う」と言っていることだ。 白川さんは意見が一致することが多い友人であるが、大阪都構想については、私はどっちかといえば賛成で、白川さんは断固反対派だったが、原因分析としては面白いと思う。 もっとも、私は丸山氏の北方領土での行動は、国会議員としてはあるまじきと思うのだが、除名するほどのこととは思えなかった。これに限らず、不祥事に対して非常に厳しい党である。また、たちあがれ日本系との決別にあって袂を分かった人々に対するいささか執念深い仕打ちも保守政党らしいおおらかさがない。 この厳しさは、統制力の発揮には役立っているのだが、たとえば、全国展開していこうとなると、この体質に二の足を踏む政治家志望の人も多く知っているし、今回も、排除された人の怨念が足を引っ張った。 もう少し鷹揚になれば、自民党には新人の割り込む余地は非常に小さいし、立憲民主党は極左政党化してしまったから、有望な政治家志望者は維新に雪崩をうって集まるのではないか。また、感情的な維新嫌いも減ると思う。 また、大阪市役所内も含めて、抵抗勢力に厳しいのはいいが、やる気のある人たちを拾い上げる努力に不足している。改革は飴と鞭を使い分けないと抵抗ばかり強くなる。民間人登用とかいっていろいろやっているが、校長先生が典型だったが、全国からろくでもない若い人を引っ張ってきたり、東京のロートル有名人を顧問にしたりするより、行政内部や市内、府内、周辺部にいくらでも有為の人物はいるのだから、抜擢したら面白いと思うのに、外部登用の優遇ぶりとアンバランスだ。 大阪市の官僚機構(幹部だけでなく)が相当に問題があるのは事実だが、公務員叩きばかりでは士気も上がらない。上げたり下げたりすべきだ。また、官僚機構はどのみち必要なのだから、在来の官僚機構は潰したとしても、新たな官僚機構は必要だ。明治維新も幕府の官僚機構は壊したが、新しい官僚機構をつくりそこに幕府の優秀な才能は吸収したのである。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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