罪に真摯に向き合って 神戸児童殺傷、被害者父が手記

 1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、小学6年生だった土師淳(はせじゅん)君(当時11)が亡くなって24日で23年。父親の守さん(64)は報道各社に手記を寄せ、「23年も経過したのかという感慨はありますが、私たちの子どもへの思いは変わることはありません」とつづった。

 守さんは以前、当時14歳だった加害者の男性(37)から毎年手紙を受け取っていた。ただ、その手紙について手記はこう記す。

 「今年も現時点では、加害男性からの手紙は届いていません」

 男性は2004年に医療少年院を仮退院した後に手紙を送り始めたが、15年に遺族に知らせず、突然、「元少年A」として手記「絶歌」を出版した。守さんは強く抗議し、16、17年は手紙の受け取りを拒否。18年から手紙は途絶えた。

 「なぜ私たちの次男の命が奪われなければいけなかったのか、と私たちは問い続けています。彼には、私たちのこの問いに対して答える義務があると思いますが、そのためには、自らが犯した犯罪に対して真摯(しんし)に向き合う必要があります。私たちに手紙を書くという行為は、そのための重要な手段です」

 守さんは一昨年に解散した「全国犯罪被害者の会」(あすの会)の副代表幹事を長く務め、同会の取り組みを受け継ぐ会(通称つなぐ会)の立ち上げにも参加。被害者支援のあり方を問い続けている。

 「この1年の間にも本当に胸が痛むような悲惨な事件、事故が起こっています。これらの被害者の方々へ支援が十分に行き届いているのかについては心配しています。私で力になれることがあれば、協力させて頂きたいと思っています」

 「(あすの会の)活動により、犯罪被害者を取り巻く環境は大きく改善しましたが、まだまだ残された課題は多いと思います。今後も、私が出来る範囲で被害者問題の課題について訴えていきたいと思います」(後藤遼太)

     ◇

 土師守さんが報道各社に寄せた手記の全文は次の通り。

 この5月24日は、淳の23回目の命日にあたります。あの事件が起きてからもう23年も経過したのかという感慨はありますが、私たちの子どもへの思いは変わることはありません。

 今年も現時点では、加害男性からの手紙は届いていません。以前からお話ししていますが、加害男性になぜ私たちの次男の命が奪われなければいけなかったのか、と私たちは問い続けています。彼には、私たちのこの問いに対して答える義務があると思いますが、そのためには、自らが犯した犯罪に対して真摯(しんし)に向き合う必要があります。私たちに手紙を書くという行為は、そのための重要な手段ですので、私たちが手紙を受け取るかどうかとは関係なく、書くべきだと私は考えています。

 この1年の間にも本当に胸が痛むような悲惨な事件、事故が起こっています。これらの被害者の方々へ支援が十分に行き届いているのかについては心配しています。私で力になれることがあれば、協力させて頂きたいと思っています。

 一昨年に解散した全国犯罪被害者の会(あすの会)の活動により、犯罪被害者を取り巻く環境は大きく改善しましたが、まだまだ残された課題は多いと思います。あとを引き継いだ「つなぐ会」や他の被害者団体の力だけでは、残された課題の改善は難しいことが多いと思います。支援団体や地方公共団体の方々と協力しながら、改善を進めていくことが重要となります。今後も、私が出来る範囲で被害者問題の課題について訴えていきたいと思います。


Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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