肌身離さず持ち歩いた123便の航空券、ともにひつぎに

 偶然では片付けられない思いを抱き続けた。

 音響機器メーカー役員だった西山徹さんは1985年8月12日、東京・羽田を午後6時に出発する大阪・伊丹行きの日本航空123便を予約した。母親の新盆で、兵庫県丹南町(現丹波篠山市)の実家に帰省する予定だった。

 ところが、帰省のための休みが…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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