能登半島は「自衛隊の空白地」 元陸自トップが明かした部隊の現実

 能登半島地震の発生から1カ月を経て、自衛隊による輸送や給水、入浴などの支援活動が続いています。当初の派遣には「逐次投入」との批判も浴びました。2011年の東日本大震災の際、陸上自衛隊のトップとして指揮に当たった火箱芳文・元陸上幕僚長に、今回の災害対応の評価と課題を聞きました。

 ――能登半島地震は元日に起きました。

 自衛隊の部隊は、休みの日でも1時間以内に災害対応で飛び出せるような体制を交代でとっているものです。だが、地震の発生が1月1日の夕方で、現地に向かう道路は寸断されてしまいました。被災地に入るのは非常に困難でした。

 一気に多数の隊員が詰め掛けると渋滞が起き、何も活動できません。道路を通れるようにしたり、先に入った隊員が情報収集したりする段階がないと、簡単には多くの隊員が入っていけないのです。

 石川県内には陸自の駐屯地が金沢市にしかなく、能登半島には航空自衛隊の輪島分屯基地しかありません。逐次、必要な隊員が被災地に入って情報を取り、後続を誘導し、兵站(へいたん)の基盤を作らなければなりません。必要な体制を取るのに若干時間がかかるのは理解できます。

 2日には陸海空から成る1万人体制の統合任務部隊を編成し、適切な対応をとったと思います。ただ、防衛省は「1千人を投入しました」「2千人を投入しました」とただ発表するだけではなく、「人命救助のために1千人が入りました」「道路啓開のためにこの部隊を入れました」と目的も説明すれば、自衛隊の活動がもっと国民に分かりやすく伝わったのではないかと思います。

隊員は風のように去るべし

 ――発生から1カ月が経ちま…

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能登半島地震

1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登地方を震源とする強い地震があり、石川県志賀町で震度7を観測しました。被害状況を伝える最新ニュースや、地震への備えなどの情報をお届けします。[もっと見る]

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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