自分も干されるかも・・・それでも協力した“とんねるず”の魅力(西日本新聞)

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(31)

 とんねるずとライブの稽古を始めたのは1983年だったと思います。私が30歳で、彼らは20歳くらい。日の出の勢いだったのに、訳あって所属事務所の社長の怒りを買い、テレビに出られなくなっていました。そこでライブです。

【写真】笑いあり、涙ありの半生を振り返る海老原靖芳さん

 「所属事務所の社長の怒り」とさらりと言いましたが、この社長は怖かった。元日本テレビディレクターで「金曜10時!うわさのチャンネル!!」などを手掛け、業界でも名の通った人物。面白い番組を作る演出家でしたが、「武闘派」としても有名でした。2人を手助けしたことがばれると、私も干される危険がありましたが「義を見てせざるは勇無きなり」です。

 とんねるずは、学生や先生が絡むコント「青春シリーズ」を得意としていたので、それを発展させた台本を作りました。「写真部の青春」は貴明がカメラを教える先輩。憲武を後輩に見立てました。

 シャッターを押す人さし指を鍛えるため、貴明が憲武に「人さし指連続千回上下運動」を命じたり、人さし指で腕立て100回を強いたりするコント。目にも止まらぬ速さで、人さし指上下運動をする憲武の真剣な表情が忘れられません。

 憲武があろうことか、明るい所でフィルムを抜き取り「先輩、何も写っていません」とボケ、「感光しているだろ!」と突っ込む貴明。このほか「アイドルの青春」「右翼の青春」などあれもこれも笑い飛ばし、とてもテレビではできないコントばかりでした。

 とんねるずとの出会いは私がフリーのコピーライター時代にさかのぼります。日本テレビ「お笑いスター誕生!!」で彼らのコントを見ていました。心を開かない生徒(憲武)と、それを克服しようとする先生(貴明)の設定です。「いつまでも悩むな、さあ俺の胸に飛び込んでこい」。そう言うと先生はおもむろに縄を取り出し、縄跳びを始めます。生徒が入った途端に縄跳びがスピードアップしたり、2重跳びになったりして、なかなか胸の中に入れない。新鮮な驚きとともに大笑いしましたね。

 彼らが作ったネタです。私が担当していたドリフでは決して通らないコントでしょう。でも面白かった。「スタ誕」で10週勝ち抜いてグランプリを獲得したのも納得です。新しい笑いを生み出し、いずれ羽ばたくと確信していた若者たちとの稽古は充実していました。たとえ忙しくても。たとえタダ働きでも。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月23日時点のものです

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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