芋づるすらもらえなかった買い出し 戦時下、片道20キロ歩いた日も

 買い出しの道で終戦放送を聞きしあの日の暑さが今日も

 暑い日だった。ズック靴の底がこげるかと思うほどだった。石川県内灘町の土橋登志子さん(87)は8月になると、終戦の日を思い出す。

 2017年9月13日付朝日新聞石川版に、自身の戦争体験を詠んだ短歌を投稿した。

敗戦から77年。戦時中の記憶、故人となった戦争体験者を思い、詠んだ作品が歌壇と俳壇へ今も寄せられる。掲載作の詠み手に、込めた思いを聞いた。

 当時は金沢市彦三町に住み、国民学校5年生だった。父は金箔(きんぱく)を挟む和紙「切り紙」を裁つ職人。母と四つ上の姉、三つ下の妹、4歳になる弟の6人家族だった。

 すでに小学校は国民学校と改称され、戦時色はより一層強まっていた。1945年ともなると、主要な食料品や生活必需品が配給となって久しかった。配給といえば、ゆでたジャガイモを思い出す。しかも傷んでいることが多かった。

 そこで食料の買い出しを任されたのが、登志子さんだった。

 ある日は山の方へ、ある日は…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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