被爆体験、語らなかった両親 足跡たどり描いた絵が広島に「里帰り」

 被爆者の肖像画を描く画家、増田正昭さん(71)=京都市=が故郷の広島市では初となる個展を開いている。亡き両親は入市被爆した体験を自身に語らなかった。その足跡を資料からたどり、初めて2人の肖像画を描いて展示した。18日まで。

 増田さんは50歳のころ、仕事の忙しさなどでうつ病になり、リハビリのため絵を描き始めた。没頭するようになり、大学の通信教育で洋画を学んだ。

 被爆者を描くようになったのは2018年。大学院の修了記念で個展を開く際に、ギャラリーから被爆をテーマにすることを提案された。当時から増田さんは京都で「被爆二世・三世の会」の世話人を務めていた。被爆者の交流行事などでモデルを募り、これまでに広島、長崎で被爆した37人の肖像画を描いた。

 絵を描く際には、2時間ほどをかけて話を聞く。被爆体験だけでなく、その前後の人生についても聞き取る。「本当の表情が出てくる。その人の神髄をくみ取れる」からだという。

 ただ、両親の絵を描くことは避けてきた。2人とも体験を一度も語ろうとしなかったからだ。自身は大学進学で広島から京都に移り、両親も広島を離れた。父は01年に80歳で、母は14年に89歳で他界した。

 しかし、70歳を過ぎて心境が変わった。「今のうちにやっておかなければ」。昨年、両親の被爆者健康手帳の申請書類や父親の軍歴を役所から取り寄せた。

 広島では被爆当時に両親が歩いた道のりを、自分の足でたどった。実は母は一度だけ、80代の時に増田さんの妻に対してこの時の体験を語っていた。

 妻によると、20歳ごろだった母は疎開先から焼け野原の広島市内に戻り、実家のあった場所の近くで骨を見つけた。その骨が、行方のわからなくなった自分の母の骨のように思え、かじったという。増田さんは「女同士でポロッと話してしまったんじゃないか」と推し量る。

 アルバムなどからモデルの写真を選び、3カ月ずつをかけて両親の肖像画を描いた。中学生の時に父と原爆ドーム前で撮った記念写真を基にした絵も描いた。「描いていると、絵の中の両親が話しかけてくるように感じた」。個展で並べた80点余りの絵の中にはこれらの作品も含まれる。「両親を広島に里帰りさせたかった」と増田さんは話す。

 会場は広島市中区八丁堀のギャラリーG(082・211・3260)。入場無料。午前11時~午後7時(18日は午後4時まで)。15日午後1時半と午後6時半、17日午後2時からギャラリートークがある。(柳川迅)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment