資本主義から降ろされていく人々 時代は「だめ連」に追いついた

有料記事

聞き手・田中聡子

 生きるために普通に働き、生きるために消費する。当たり前と思っていたそんな生き方をボイコットしたのが、1990年代に注目された「だめ連」でした。立ち上げメンバーで現在も活動を続ける神長恒一さんは、「今こそだめ連が必要」と話します。

社会に適応「つまらない」

 1990年代に「普通に働かない、消費しない」「『ハク』や『うだつ』にとらわれない」など、オルタナティブな生き方を模索する活動「だめ連」を仲間と始めました。30年ほど経ちましたが、今こそこの活動が必要だと感じています。

 俺も初めは、「普通」に生きていました。大学を出て、就職して、デパートで服を売って。でも、社会に適応する生き方を「つまんないな」と感じたんです。朝礼で「購買意欲を上げて、一枚でも多く売ろう」という部長の言葉に、「服なんてみんな持ってるのに、あおって売るのか」と仕事そのものにも疑問を抱いた。10カ月で辞めました。

 その時、「納得できない社会のルールに従わずに自由に生きていこう」と決めました。もっと豊かな人生や世界があるはずだ、と。同じように面白い生き方を探す仲間が集まり、だめ連はスタートしました。

 当時は資本主義が今よりも盛り上がっていて、疑いなく乗っかって生きる人がほとんどだった。

従属する人も見捨てられた

 ところがこの30年で、格差…

この記事は有料記事です。残り765文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment