進まぬシベリアの遺骨収集 「必ず迎えに」過ぎゆく時間に焦り

 77年前の8月15日、長い日本の戦争が終わった。だがその直後、旧ソ連軍は千島列島の占守(しゅむしゅ)島に侵攻。多くの日本人がシベリアに強制連行され、過酷な労働を強いられた。一人、また一人。終戦にたどり着きながらも、異国の地で無念の死を遂げた人々がいた。

 終戦直後、樺太(現サハリン)から旧ソ連軍にシベリアへ強制連行された北海道利尻町の吉田欽哉さん(96)は唇をかむ。極寒の地で自ら埋葬した日本人の遺骨を持ち帰りたい。そんな思いを、外務省によるロシアへの渡航中止勧告が阻む。「必ず迎えに……」。約束を果たせぬまま、時間だけが過ぎていく。

 仲間たちを弔ったのは抑留翌年の1946年6月中旬、20日間滞在した収容所の時だった。収容所に送られた7人に与えられた仕事は、棺の移し替えだ。ノルマは1日4体。土日を除く毎朝8時、馬に乗った将校と出発し、1時間余り歩いて墓地に向かった。

仲間に誓った、遺骨の帰国

 そこには「土まんじゅう」と…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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