首相「岸・安倍家三代の執念」で“憲政史上最長の総理”に “反省ノート”で切り開いた桂太郎超え(FNN.jpプライムオンライン)

『坂の上の雲』の時代の記録を約100年ぶりに更新

安倍首相の通算の在職日数が11月20日に、第1次政権と合わせて2887日となり、戦前の桂太郎元首相を抜き歴代最長を更新した。安倍首相が今回、記録を抜くことになった桂氏は同じ山口県(長州藩)の出身で、郷里の偉大なる先人の記録を抜くことになった。

【画像】“憲政史上最長の総理”に

桂氏は、明治維新の後、日本が近代国家としての歩みをはじめた20世紀幕開けの年、1901年に初めて総理大臣に就任し、計3度総理の座に着いた。在任中には、日英同盟を締結、絶望的ともいわれた日露戦争を勝利に導き、第2次政権時は韓国併合も行った。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にもあるように、まさに日本が欧米列強に“追い着け・追い越せ”とひたむきに歩み続けた時代だった。公家出身の西園寺公望と首相を交互に務めたことから「桂園時代」と呼ばれ、安定政権を維持した。

安倍首相が今回その桂氏を抜いて歴代最長の政権を築き上げられたのはなぜだったのか。

「安倍家3代の執念」と一度失敗したからこその強さ

安倍首相の側近議員は、長期政権について「安倍家3代の執念だ」と解説する。安倍首相の祖父・岸信介元首相は、自主憲法制定を悲願としながら日米安保条約の改定をめぐるデモが過激化し、混乱の責任をとる形で退任。また父の安倍晋太郎元外相も、竹下登元首相や宮澤喜一元首相とともに“ニューリーダー”と呼ばれながら、病に倒れ、ついに首相に就任することができずにこの世を去った。華麗なる政治家一族の中にあって、安倍首相が長期の安定政権を築くというのは安倍家としての悲願でもあった。

しかし、2006年に小泉元首相の後を受けた第1次政権の時は、郵政造反組の復党問題や相次ぐ閣僚の辞任などが逆風となり参院選に惨敗し、また持病が悪化したことなどから約1年で政権を手放さざるを得なかった。

自民党はその後、野党に転落し、失意のうちにあった安倍首相だったが、側近議員によれば、「安倍さんは毎日欠かさず、反省ノートを書いていた」という。そして安倍政権の強さの秘密について「一度、失敗しているからだ」と指摘した。

安倍首相も、時折そのノートを見返すなど、反省ノートが安定政権の要因の1つになっていることを認めている。直近では、文科省が進めた大学入試における英語民間試験の導入延期を判断するなど、政権へのダメージを最小限に食い止める手を早く打っており、様々な反省や体験に基づく安倍政権の危機管理能力は高いといっていいだろう。


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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