高校生が撮影した復興「今の大船渡が昔よりも好き」(日刊スポーツ)

<あれから9年…忘れない3・11~東日本大震災~>

進学や就職といった人生の岐路に立つ岩手県立大船渡東高・情報処理科の3年生が、故郷の悲劇に再び目を向けた。2011年3月の東日本大震災発生時は小学3年生。9年が過ぎ、もう1度向き合う。当時何があったのか-。

【写真】2班の監督を努めた磯谷さん

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3年生の希望者24人が1~4班に分かれ「震災からの復興」をテーマに脚本、取材交渉、撮影、演技などを全て担当し、5分間の映像を制作した。生徒の1人は「忘れていた感情をまた思い出すことができた」と振り返った。市は東京五輪復興「ありがとう」ホストタウンに登録されており、担当者は「この映像を五輪期間中に流し、大船渡に訪れた人たちに震災からの復興をアピールしたい」と話した。

突然襲った大きな地震、押し寄せる津波。無我夢中で高台に逃げた。高台から見た次々と流される家…。どうなってるの。両親にも数日会えず、知らない人から避難所で温かいおにぎりをもらった。食べないと生きられない-。まだ復興途中ではあるが、世界中の人から温かい支援を受け、大船渡はここまで復興した。

2班が制作した「希望の光」は監督の磯谷咲良さん(18)の体験に基づく話。当時の再現には自宅から体育着を持ち寄り、磯谷さんらが自ら演じた。社会人になり、市を見渡せる高台から「次は私たちが恩返しをする番だ」と力強く誓うラストシーンが印象的だ。

磯谷さんは「高台から津波にのまれる大船渡の姿を見て、絶望した。世界中から支援していただいたおかげで、今の自分がある」。人の本当の温かさを実感したと話す。社会人の道へ進むが「これからは私たちが感謝の気持ちを伝えて、小さいことから恩返ししたい」と笑顔で明かした。

卒業後は生徒26人中、21人が県内に残る。どの生徒も「大船渡が大好き」。2班の佐藤心咲さん(18)は「暮らしを支えてくれた地元の企業に恩返しがしたい」。磯谷さんは「まだ復興途中だけど、震災で多くの国の人とのつながりも増え、震災があったから今があるんだと思えている。今の大船渡が昔よりも好き」と地元に貢献していく道を選んだ。

映像は、撮影機材などのサポートが受けられるパナソニックの映像制作支援プログラム「キッド・ウイットネス・ニュース(KWN)」に参加し制作した。2班の作品は同社の日本コンテスト、高校生部門最優秀作品賞にノミネートされた。グランプリは19日に発表される。【佐藤勝亮】

◆大船渡の震災被害状況 岩手県の南東部に位置し、周辺は狭い湾が複雑に入り組んだリアス海岸がある。東日本大震災当時の人口は3万9097人で、世帯数は1万4412世帯だった。今年2月末日時点で人口は3万5755人、世帯数は1万4935世帯。市の担当者によると19年9月30日現在、震災による人的被害は340人、行方不明者は79人。市は11年4月から7カ月間、米国のボランティア団体から被災した民家の修復やがれき処理などの支援を受けたことから、五輪復興「ありがとう」ホストタウンに登録されている。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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