鬼は外だけじゃない!矢で射られ、刀で斬られ…個性的な節分さまざま

 もうすぐ節分。「鬼は外」と、豆をまくほかに、東海各地には鬼にちなんださまざまな節分の風習が残る。古来、人々は「鬼」の姿に何を見たのか。節分を探ると、この地に刻まれた歴史も浮かび上がる。

弓で射られ、刀で斬られ…一方で「配慮」ある行事も

 美濃の国の一の宮でもある南宮大社(岐阜県垂井町)。節分には、裏に「鬼」と書かれた直径160センチの的を神職が12本の矢で射る「大的神事」が行われる。ことの起こりは、平安時代の平将門の乱だ。

 禰宜(ねぎ)の荒井寛巨さん(39)によると、将門の首が京の方角へ飛んだところ、南宮大社の隼人(はやと)社にまつられている祭神が、矢で射落としたという伝説にちなんでいる。大的神事で放たれた矢などには福があるとされ、神事が終わると参拝者が取り合う。

 年始から災害が発生していることもあり、荒井さんは「魔よけと五穀豊穣(ほうじょう)を祈る神事。皆様の心が少しでも落ち着くことを祈念して執り行いたい」と話す。

 「津観音」として知られる恵日山観音寺(津市)は、罪人を鬼に見立て、武士が斬りつける「鬼押さえ」が有名だ。

 住職の岩鶴密伝さん(41)によると、津観音は津城から北東に位置。鬼が出る「鬼門」を押さえる役目があった。邪魔になる津観音の本尊を鬼が盗もうとしたところ、武士に退治されたとの言い伝えが由来となって、「鬼押さえ」が行われてきた。

 江戸時代伊勢神宮参拝の案内書「伊勢参宮名所図会」には、津観音の境内で刀などを持った人が、人を追い立てる様子が描かれている。あまりの激しさに死者が出るほどで、明治時代に廃止された。

 津観音は、1945年7月28日の空襲で建物が全て焼失。戦後、先代の住職が寺を再興するにあたり、「鬼押さえ」を復活させたという。現在の「鬼押さえ」は、特設舞台で地元有志による鬼と侍の寸劇が披露された後、「福豆まき」が行われる。今年も2月3日に実施する予定だ。

 岩鶴さんは「鬼は疫病や厄災など悪いことの象徴とされる。鬼を一緒に押さえつけるため、大勢の市民に参加して欲しい」と話す。

 一方、鬼に「配慮」した豆まきもある。大須観音名古屋市中区)の節分会(せつぶんえ)の豆まきでは「鬼は外」は禁句だ。理由は寺宝が鬼面のため。豆をまく時のかけ声はもっぱら「福は内」だ。特設舞台から、かけ声とともにまかれた豆を参拝客が紙袋などで受け止める。今年も2月3日午前10時から開催予定だ。

室町時代には「鬼は外、福は内」 豆まきの由来は中国に

 そもそも節分とは何か。三省堂年中行事事典(改訂版)によると、もともと節分は季節の移り変わりの意味で、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日を指した。次第に立春の前日のみとなったとされている。

 豆まきの由来は、中国で古く…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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