107歳・遠藤静江さん、箱根駅伝から「元気もらった」台風被害の小田原復興へ勇気(スポーツ報知)

 2日に往路が行われ、青学大が優勝した箱根駅伝は今年、第1回大会から100年を迎えた。5区がある神奈川・小田原市、箱根町が昨年10月の台風19号で大きな被害を受け現在もその爪痕が残る中、駅伝と同じ“歴史”を持つ地元ゆかりの人や企業が思いを語った。小田原市の最高齢・遠藤静江さん(107)は、子供の頃に見た駅伝を振り返りつつ「選手の頑張りで元気をもらいました」。また、箱根登山鉄道と伊豆箱根鉄道の両社は、駅伝とともに次の100年に向け箱根を盛り上げていきたいと考えている。(高柳 哲人)

 小田原市の最高齢女性は今年も地元にランナーがやってくるのを心待ちにしていた。遠藤さんが生まれたのは、大正時代が始まる1か月前の1912(明治45)年6月22日。第1回の箱根駅伝が行われた1920年には7歳だった。遠藤さんは「昔の話だからね。第1回かどうかは分からないけれど…」としつつも「子供の頃にね、駅伝を見たのは覚えていますよ」と懐かしそうに振り返った。

 記憶に残っている最も古い駅伝の思い出は、応援用の小旗を手作りしたことだという。「学校で半紙の真ん中に、自分で赤い丸を描いてね。紙の端に竹の棒を付けて、日の丸の旗にしたの。それを持ってお堀端を歩いて、タスキを渡す所へ見に行きました」。遠藤さんの話す「お堀端」とは、小田原城の堀に沿って走る道のこと。現在、小田原中継所は「鈴廣かまぼこの里」前だが、当時はそれよりも2・5キロほど小田原寄りにあった。

 「トラックの(荷台の)上に乗って、応援しに来る人もいてね。それはもう、道の両側にすごい人が並んでいましたよ。周りには、太鼓を叩いている人もいたね」。今年も沿道には多くの人が駆けつけたが、当時から正月の風物詩として人気だったという。

 観戦を始めた頃はひいきの大学はなかったが、弟が早大に通うようになってからは、同大学を応援するようになった。その後、長女の夫の母校である神奈川大も注目校に加わった。「(早大の)あずき色のユニホームは、今も同じですからね。見ていて良く分かるし。テレビで見るようになってからですが、神奈川大が優勝した時はうれしかったね」と笑顔を見せた。

 遠藤さんが生まれた時から暮らす小田原市と隣の箱根町は、台風19号で大きな被害を受けた。「台風の時は大変だったけど、選手が頑張って走っているのを見て、元気をもらえました。本当に夢中になっちゃいましたから」。今年も無事に駅伝が行われ、多くの感動シーンが誕生したことが、地元を勇気づけてくれたと思っている。

報知新聞社

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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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