0対183…ラグビー素人と強豪校 佐賀1強に挑み続ける部員たちの闘争(西日本新聞)

五郎丸歩ら日本代表選手も輩出した強豪校

 沈みかけた夕日が照らす土のグラウンド。5月下旬、鳥栖工業高ラグビー部監督の徳永元紀(39)が練習後、部員に告げた。「6月21日、佐工との公式戦になった。Aチームが本気でくるぞ」。身構えるような部員の空気を感じ取った。 【写真】佐賀工業高OBの五郎丸歩  新型コロナウイルスの影響で中止となった県高校総体の代替大会の開催に、「自分たちの力を試せる」と気を引き締めた主将の尾中将真(18)。ただ「準備は間に合うのか」「怖い」という仲間たちの不安も感じていた。  0対183―。4カ月前の1月、県高校新人ラグビー決勝戦で佐賀工業高にまたも圧倒されていた。前後半60分で27トライを許した。約2分に1回、トライを奪われた計算だ。ラグビーにコールド負けはない。体を当てることから逃れられない。痛みと疲労は闘う意思をそぎ取る。100点を超える差は重い。  佐賀工は全国大会に38年連続出場し、五郎丸歩ら日本代表選手も輩出する強豪校だ。全国大会出場を懸ける県大会決勝では佐賀工と鳥栖工が12年連続で対戦しているが、いずれも佐賀工が圧勝。220点を奪ったこともある。  1強の「佐工」にどう挑むか。それがそのまま佐賀の高校ラグビー史となる。  県大会決勝後、佐賀工でなく、鳥栖工の監督が胴上げされたことがある。  1988年、県総合運動場の本部テント前で、試合を終えた選手たちに囲まれ、当時の鳥栖工監督の友清正晴(63)の体が2度3度と宙に舞った。  9対28。「負けとるのに複雑な気持ち。でも選手に達成感はあったと思う」。ラグビーを高校から始めた部員が猛練習し、朝からスクラムを組んだ。友清には実のところ「50点差以内であれば御の字」との思いもあったから、その想像を超えて選手は戦った。「打倒・佐工」の旗を掲げ続けたからこその惜敗だった。

県大会参加は2校のみ

 当時は県大会に6校が出場していたが、2017年から3年連続で佐賀工と鳥栖工の2校のみ。まず佐賀農業と佐賀東が姿を消した。次第に部員が入らなくなった。19年度に佐賀西が休部に入ると、部員2人が残っていた龍谷も佐賀西との合同チームで試合に出る見通しもたたなくなり、20年度から活動休止に入った。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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