1日に900人が訪れる市街地の防空壕 戦争の実相伝える別荘跡

 かつて戦争があったことを、その遺構を通じて知ってもらおうという取り組みが、愛知県大府市で続いている。個人の別荘地跡に残された防空壕(ごう)への見学だ。ロシア軍によるウクライナ侵攻の影響もあってか、来訪者が増えるなど関心が高まっているという。

 JR大府駅から1キロ弱、大倉公園にある木造平屋の休憩棟。16段の階段を下りていくとひんやりとした冷気に包まれる。コンクリートの壁に囲まれた地下室。水がしみ出て、湿っぽくカビの臭いが鼻につく。

 高さ2・45メートルで、9平方メートルと大人10人以上は入れる広さがある。厚みが30センチはある壁には鉄筋が入っている。案内してくれた市歴史民俗資料館の鷹羽望学芸員(35)は「個人宅の防空壕自体が珍しいが、物資不足の時代にこれだけのものをよく造れたものだ」と説明する。

 広さ1・7ヘクタールの大倉公園は大正期に、日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)初代社長の大倉和親が建てた別荘があった。1945(昭和20)年2月に名機製作所の初代社長、加治慶之助が譲り受けた。加治は空襲にさらされていた名古屋から疎開しており、別荘の離れの下に防空壕を造った。

 市は75年に別荘地跡を購入し、公園にした。別荘の離れ(休憩棟)と茅葺門(かやぶきもん)は2015年、国の有形文化財に登録されている。防空壕は管理の問題から埋め立てる話も持ち上がったが、免れた。ただ市民の目に触れるようになったのは最近のことだ。

 「こんな立派な造りのものが残っていたとは……」。加納邦郎さん(77)は2014年に初めて防空壕に入った際、思わず声が出た。

 結成されたばかりの地元のボランティア「ふるさとガイドおおぶ」の一員となったころ。市職員から、「見学コースの一つにならないか?」と打診され、初めて訪れた。

 翌年2月、たまった地下水を仲間と2時間かけてバケツでくみ出し、最初の見学者を迎え入れた。後に市は、階段の手すりや地下水をくみ出すポンプをつけた。

 今年4月下旬、加納さんらガイドは終日、休憩棟の玄関前に立って説明を続けた。この日だけで過去最多の882人が中へ入った。

 名古屋の南部に位置する大府…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment