3千人犠牲の空襲 焼夷弾逃れた母が双子の娘に伝えたかったこと

 終戦の2週間前、3千人近くが犠牲になった富山大空襲からまもなく78年を迎える。7月初め、被災者が残した26点の絵が、富山市の市民団体「富山大空襲を語り継ぐ会」に寄せられた。戦災の実相が、絵と余白の文章で見る者に迫る。

 富山市粟島町、若林ウタさん(享年81)が描いたもので、それを譲り受けた長女の玲子さん(71)が今回寄せた。

 1945年8月2日未明、米軍のB29の編隊が富山市を爆撃した。ウタさんの絵と添えられた文章は、焼夷(しょうい)弾の下を生き延びた壮絶な体験を記している。

 夜空を飛ぶB29編隊の絵に「尾燈(びとう)までつけている。弾が火を吹いて落ちてゆく」。敵機襲来の絵には「雷の何十倍もあるようなものすごい大きな音。体は畳からはなれ、腸も動いた。考えたこともない悲鳴が体中から絞り出た」。

富山大空襲を語り継ぐ会は、「78周年のつどい」を7月30日、富山県民会館で開き、焼夷弾の恐ろしさなどを話します。8月5日には富山県高岡市で、語り部の男性が空襲体験を話します。

 布団をかぶってため池へ逃げ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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