31歳の「定年」拒否した私 悔しさ、苦しさ、まだまだ

 「ちょうど一年前、(中略)三十一歳になった私に定年退職の辞令が出ました」。1971年4月18日の朝日新聞朝刊の連載「男と女」は、こんな言葉で始まる。辞令を受け取った盛岡市の大沢栄子さん(81)は当時を振り返って笑う。「職場でこんな差別があったなんて、いまの人には信じられないでしょ」

 「結婚(寿)退職」、「妊娠退職」、「男女別定年」。いまであれば、男女雇用機会均等法で禁止されている女性差別が、労働現場で残っていた。

 そんな状況を変えようと、1960年代以降、差別撤廃を求めて、女性たちが次々と立ち上がった。労働組合などの支援を得ながら、裁判を起こした。66年末には、結婚退職制をめぐり、「結婚の自由を制約するもので、公の秩序に反する」として、違憲とする初の判決が出た。

 大沢さんの闘いもこの時代と重なる。大沢さんは61年、岩手県経済連(現JA全農いわて)で臨時職員として働き始め、翌年に結婚。「生活していくために共働きは当たり前だと思っていた」

 65年にできた制度で准職員となったが、次第に男女差別が目につくようになる。同じ仕事をしているのに、隣の正職員はボーナスをもらい、諸手当もでた。准職員は職種により定年があり、大沢さんら女性がつく事務職の定年は31歳と定められていた。

ジェンダーをめぐる状況は何が変わり、何が変わらずにきたのでしょうか。50年前の新聞と、今とを行き来しながら考える連載です。

 70年4月、31歳の誕生日の…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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