77年前の空中戦、法要いまも 「死を無駄にしない」米兵遺族と交流

 77年前の5月5日、熊本県阿蘇地方と大分県竹田市の上空で米軍の爆撃機と戦闘機が空中戦を交わし2機が墜落。捕虜になった後に非業の死を遂げた人を含めて12人が命を落とした。慰霊の法要が5日、竹田市の墜落現場に立つ「殉空之碑(じゅんくうのひ)」で営まれ、米国の遺族らからのメッセージも紹介された。

 空中戦があったのは1945年5月5日の朝だった。早朝、グアム島から飛び立った米軍の大型爆撃機B29の編隊は福岡県中西部の大刀洗飛行場を空襲すると帰途についた。

 そこに日本軍の戦闘機、紫電改(しでんかい)が接近し、撃墜にかかった。編隊のうちの1機は熊本県小国町付近の上空で攻撃を受け、11人の搭乗員は次々にパラシュートで脱出。機体は竹田市平田の山中に墜落した。

 墜落現場の近くに住んでいた工藤勝昭さん(85)は当時、国民学校3年だった。青々とした晴れ空に広がったパラシュートと、黒煙をあげたB29の機体が落ちてきた様子が今も鮮明に思い浮かぶという。

 紫電改に乗っていた粕谷欣三さんは墜落により亡くなった。B29の搭乗員11人のある人はパラシュートで着陸後、大分との県境近くの熊本県内で地域住民に包囲されて自殺し、ある人は地域住民の手にかけられた。多くの人は捕虜になったが機長を除いた全員が、九州帝国大学医学部で実験手術として肺を切除されたり、血液代わりに海水を輸液されたりした「九大生体解剖事件」の犠牲となったとされている。

SNS通じ、機長の息子から連絡が

 非業の死を遂げた12人を悼…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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