「水、ありがとね」妻思いの高橋さん、温かな言葉最期まで

向日葵クリニック院長 中村明澄さん 今回取り上げる方は、高橋正孝さん(享年77)です。奥さんや息子さん一家と農家を営んでいる方でした。前立腺がんを患い、余命2カ月と宣告されていました。 最初に訪問したのは2020年9月14日。歩けなくなって、食事がとれなくなっていました。ステロイドの飲み薬の効果が出て、9月末には、食欲が出て、見違えるように元気になりました。 訪問すると、1時間ほどお話ししてくださることもありました。「『襟裳岬』をかけると、よく寝られるんだよ」「いまは何だって食えるし、畑にも、ちっと行けるようになったよ」。とてもうれしそうに、高橋さんが書きためてきた野菜の育て方のノートを見せながら、野菜について語ってくださいました。 実は高橋さん宅は、コロッケ…この記事は有料会員記事です。残り916文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

恐れ、遠ざけてきた母 病床で手渡された小銭 作家・小川糸さん

かあさんのせなか 「食堂かたつむり」や「ライオンのおやつ」など数々の小説を生み出してきた作家の小川糸さんは、「母を遠ざけてきた時間がすごく長かった」といいます。ただ、そんな母の死を通して、変化した思いがあったそうです。小川さんからみた「かあさんのせなか」を聞きました。(聞き手・塩入彩)「お金さえあれば」 母の言葉に抱いた疑問 母との思い出って何かなと思ったとき、ふと思い出したのが、小学校の夏休みの自由研究。母の提案で、タンポポの根っこを採取することにしたんです。 ただ、タンポポの根っこって下まですごく長く深くて、掘るのはとても大変で。途中でやめたら、母に「最後までやりなさい」と怒られました。泣きながら、母と一緒に掘り出したのを思い出します。 途中で諦めることを許してくれない人でした。いま思うと、花という目に見えている部分はごく一部で、根っこはこんなにも地中深くに広がっているということを、間接的に教えてくれたようにも思います。ただ、当時はとにかく母が怖かったし、母が自分のためにやっているようにしか思えなかった。違う見方ができるようになったのは、それこそ母が亡くなってからです。 生前、母との関係はあまりよくなかったんです。母を遠ざけてきた時間がすごく長かった。 母は福祉系の公務員で、仕事にとても責任感を持っていました。家族に対しても「経済的に支えなきゃ」という意識が強く、オブラートに包んで言えば「教育熱心」。幼稚園の頃から、小学校の算数や漢字のドリルを与えられ、間違えると、たたかれました。それがすごく怖くて、嫌で、本当に泣き叫びながら逃げていました。 時代の影響もありますが、「いい学校や大学に入れれば、経済的にも豊かになる」という価値観を持っていて、「お金さえあれば生きていける」ともよく言っていました。私は子どもながらに、そんな母に疑問を持っていました。 母は、常に満たされない思いを抱えていました。母自身は長女だったのですが、「親は妹ばかりを可愛がっている」と感じていたようです。 大人になってからも、よく言えば責任感が強い一方、自分の努力が認められないと、すごく混乱する。「なんでこんなに自分は頑張っているのに、それを認めてくれないんだ」と。だからこそ、私がちょっとしたことで母を褒めると、すごく喜んで。子どものような面がありました。 私が作家としてデビューした頃、母自身が大きな問題を抱えてしまい、母に向き合うほど、私も消耗しました。このままでは、自分も巻き込まれ、健康的な生活を送れなくなる。そう思い、母とは連絡を絶ちました。記事後半では、母親との関係性の変化について小川さんが語っています。 転機はその数年後、母からの…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「PTA非加入5年で9倍」に向き合う 負担減へ三つのダイエット法

 さいたま市立の小中学校で、PTAに入っていない家庭が2017年度からの5年間で約9倍に増えた。背景には、保護者にとって会合や行事の手伝いなどの負担が大きいこともあるとみられる。改革を進めているPTAの例から、持続的な活動ができるヒントを探った。(小林未来) 市内のPTA非加入家庭は、市教育委員会によると21年度は470家庭。全体の0・55%だが、17年度の54家庭から増えた。背景には、「PTAは任意加入で入会には意思確認が必要」と市教委が18年度に通知を出したことや、活動の負担が重いと感じる人が増えたことがあるとみられる。改革①「PTAダイエット」で委員会スリム化 一方、2年前に「PTAダイエット」を始めた大谷場東小学校(南区)のPTAでは、積極的に活動に参加する人が多くなった。 最初に改革に着手したのは、「委員会」だった。 「広報」「文化」「選考」の各委員会(10~15人)と、「地区委員会」(約20人)があった。福戸美帆会長によると、子ども1人につき1回は委員をやるノルマがあり義務感での立候補が多かったという。 そこで「広報紙の発行は年1…この記事は有料会員記事です。残り1575文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

豪雨被災の家屋廃材活用した移動販売車 被災地巡り癒やしの香りと味

 2020年の熊本豪雨で被災した家屋の廃材を活用したコーヒーの移動販売車が、被災地を巡っている。コロナ禍で人と人とのつながりが薄れたことを憂えたビジネスマンと、民家の貴重な「古材」が災害ごみになることを悲しんだ被災者の思いがつながった。挽(ひ)きたての香りと味が被災者を癒やして回る。 車の名前は「移動焙煎(ばいせん)車」。サントリーホールディングスが手がける。5日に熊本県八代市坂本町でお披露目した後、8日に球磨村、9日に錦町、10日に人吉市と豪雨の被災地を巡り、無料でコーヒーを振る舞った。挽きたてのコーヒーに、被災者からは「うまかね」「ありがたか」と感謝の声が上がった。 きっかけは20年のコロナ禍だった。 デジタルマーケティング部(東京)に勤務する杉谷憲一さん(56)は、取引先の飲食店が打撃を受ける中、「単に売り上げが減っているだけでなく、良質なコミュニケーションが失われているのでは」と危機感を強めた。 同社が扱っている素材の中で、消費者に直接届けて喜ばれるものとして「コーヒー豆」を思いつき、焙煎機を備えた移動販売車を整備して、外に打って出た。 東京で1号車が順調に稼働しはじめた昨年、釣り好きの杉谷さんがたまたま訪れた八代市坂本町で、溝口隼平さん(40)に出会った。 球磨川の氾濫(はんらん)で…この記事は有料会員記事です。残り516文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

農業塾でプロの現場体感 大阪の農家有志が開講、2期生募集

 新たに農業を始めたい人に農作業や農業経営を伝授する農業塾を、大阪府富田林市の農家の有志が始めた。研修期間は約1年間。ダイコンやタマネギなど様々な野菜の栽培を基礎から教え、就農に向けて現役農家ならではの助言もする。高齢化に直面した地域の農業を守るために、農家自らが立ち上がった。今夏に開講する2期生を募集中だ。 富田林市ではナスやキュウリ、エビイモといった都市近郊農業が盛んだが、担い手の高齢化や後継者不足に悩まされてきた。 こうした課題を解決して市の農業を発展させようと、農家有志で2015年に「富田林市の農業を創造する会」を結成。府などの事業に協力し、新規就農希望の研修生を受け入れてきた。さらに、自分たちで次世代の農の担い手となる人材を育てようと、クラウドファンディングも利用して資金を集め、昨夏に「きらめき農業塾」を開講した。 現在は1期生として、地元の南河内地域や大阪市などから20代~50代の17人が受講している。受講生ごとに農場の区画を割り当て、先輩農家の指導をうけ、トマトやナス、キュウリ、ジャガイモなどを栽培。収穫した農産物をマルシェで販売する体験もした。後半では、農業塾第1期生の感想や、第2期の詳細を紹介します。 プロの現場を体感してもらう…この記事は有料会員記事です。残り875文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

那須サファリのベンガルトラ「ボルタ」が急死 1月に3人を襲う事故

小野智美2022年6月11日 10時30分 栃木県那須町の那須サファリパークは10日、飼育していたベンガルトラの雄「ボルタ」が死んだと発表した。同園によると、7日に11歳の誕生日を迎え、餌も完食していたが、8日朝、動かない状態で見つかった。急性心不全だったという。 今年1月に獣舎外の通路にいたボルタと飼育員1人が遭遇し、救助に入った飼育員も含め計3人が襲われる事故があった。同園はボルタのために献花台を用意し、写真も展示している。(小野智美)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

子ども満足、癒やしも映えも 1日遊べる「らしくない」道の駅

■おでかけ関西 ちょっとウラ話 目的地の途中に立ち寄るというよりも、おでかけの目的地となっている道の駅がある。 あふれるほどの四季の花々を楽しめるだけでなく、直売所、レストラン、さらには遊園地、果物狩りまで。家族連れや無料のドッグラン目当てに訪れるペット連れなどでにぎわい、週末には駐車スペースを探すのに苦労するほどだ。記事後半では、コロナ禍でも客足が絶えない「道の駅」の楽しみ方を紹介します。会員登録すると応募できるプレゼントもあります。 神戸・有馬温泉から車で約2…この記事は有料会員記事です。残り1830文字有料会員になると続きをお読みいただけます。#KANSAI近畿の魅力を再発見する新企画。社会・経済から文化・スポーツまで、地元愛あふれるコンテンツをお届けします。[記事一覧へ]Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

ご当地映画で地域活性化を 主人公は地元アイドル、福岡で撮影開始

 豊かな自然や風景など糸島の魅力を詰め込んだご当地映画「猫の記憶」の撮影が行われている。市内在住のマルチクリエーター濱洋一さん(59)が地域活性化の一助にと企画した。 監督・脚本・音楽なども担当する濱さんは、音楽プロデューサーや映像作家、写真家として活動。7年前、糸島市に移住した。「地元に何か貢献したい」と考え、映画づくりを通じて糸島の情報発信や地元の人材育成を図る。 主人公は女子高生の紫音。小さいころ猫と一緒にいるところを拾われて養親のもとで育った。交通事故に遭ったことで猫のことを思い出し、その行方を探し始めるといったストーリーだ。白糸の滝や立石山、芥屋の大門(おおと)周辺など市内の名勝地でロケを行う。 紫音役は、福岡のアイドルグ…この記事は有料会員記事です。残り150文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「知床旅情」に加わった新たな意味 加藤登紀子さんが語る観光船事故

 知床の岬に はまなすの咲く頃――。加藤登紀子さんが歌い、大ヒットした「知床旅情」。1970年代、都会に出てきた若者たちの多くが、この曲を聴いては望郷の念に駆られた。 そんな曲の舞台となった知床の地で起きた観光船の事故。加藤さんが事故や知床への思い、そして「知床旅情」のこれからについて語ってくれた。     ◇ 事故を受けて、まず思い出したのは、1959年に80人を超える死者・行方不明者が出た知床半島・羅臼での漁船の遭難事故です。 当時は東西冷戦中で「鉄のカーテン」の時代。「風が吹いたらクナシリ(国後島)に逃げろ」と昔から言われていたのに、強烈な風が吹いて海が荒れる中、羅臼港に帰ろうとして事故に遭いました。船は、クナシリに逃げてソ連に拿捕(だほ)されることを恐れたのです。 この理不尽な悲劇を受け、森繁久彌さん(2009年、96歳で死去)が知床のために動きました。 真冬の知床半島で漁師が集まる「番屋」に暮らす老人を描いた映画「地の涯(はて)に生きるもの」を、私財をはたいて自主制作しました。地元民の惜しみない協力に感激した森繁さんが、そのロケの置き土産として「知床旅情」を作詞作曲したのです。 今回の観光船事故は、無謀な出航のすえにたくさんの方々が犠牲になりました。私は、厳しい自然と向き合って生き抜いてきた知床の人たちは、船を出すことにとても慎重だと感じてきました。だからこそ残念でなりません。「君の声はあの風の冷たさを知っている声だね」 森繁久彌さんは言った 「知床旅情」との出会いは68年3月でした。後に夫となる藤本敏夫さん(02年、58歳で死去)と初めて一緒にお酒を飲んだ日。東京・千駄ケ谷のマンションまで送ってくれて、別れるのが寂しくなった2人は、屋上に行きました。彼が夜空の下で朗々と歌ってくれたのが、この曲でした。 その1年後、私が「ひとり寝の子守唄」を歌った弾き語りのステージを森繁さんが見てくれていました。 舞台袖で「僕と同じ心で歌う人を見つけたよ」と言って抱きしめて下さった。この出会いから、私が「知床旅情」を歌うことになります。 私は戦中、森繁さんがアナウ…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

延長1.3キロ「リニア最長駅」 岐阜県駅が着工

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