「離れて暮らすと会いたくなる」 結婚した三女、今家族の存在を思う

 札幌を早朝に出た特急列車が、待ち合わせ場所の新函館北斗駅(北海道北斗市)に着いた。夕張市の谷口家8人きょうだいの5番目で三女の小雪さん(23)は、結婚して北斗市に住む。久しぶりに会うので顔が分かるか自信がない。改札口で携帯を鳴らすと、黄色いジャケットのすらりとした若い女性が電話を取るのが見えた。 初めて取材した10年前は中学1年生。次女麻保さん(28)や弟の慎策さん(20)、誇吾郎(こごろう)さん(18)たちと一緒に夕張市内の民謡教室に通っていた。 歌がうまかった。伸びのある声で、先生からも「筋がいい」と太鼓判を押されていた。 中学校に入り、バレー部と民…この記事は有料会員記事です。残り799文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

水草はOK、カメはかわいそう?「ため池マン」が示す駆除のジレンマ

 1月末の兵庫県稲美町。県内最古とされるため池「天満大池」のほとりには、県の絶滅危惧種となっている多年生の水草「アサザ」を守るため、子どもからお年寄りまで、150人ほどが集まっていた。 マントを翻し登場したのは、兵庫のため池の環境を守るために生まれた正義のヒーロー「ため池マン」。来場者に向かってポーズを決めると、「強敵の外来植物、ナガエツルノゲイトウを倒しに行くぞ!」と声を張り上げた。 「強敵」と言われたナガエツルノゲイトウ(ナガエ)は南米原産の水草。米国や豪州にも外来種として入り込んでおり、茎の節一つからでも再生してしまう。 「冬なので地上部が見えませんが、根をわずかに残しただけで繁殖します。ブロックの隙間に入り込むと、なかなか取れません。下流の町の100カ所以上にはびこっています」 生き物が死ぬことは、時に悲しくつらい。それでも人は、様々な理由でいのちを奪い、助けることをあきらめる。「かわいそう」と断じるにはあまりある思いを抱えて。様々な生き物の最期に向き合った現場からの報告です。 生物の専門家などでつくる兵庫・水辺ネットワークのメンバーで、天満大池の活動にもかかわる碓井信久さん(68)がナガエの生息地を指し示しながら説明すると、参加者からため息が漏れた。「水陸両用」、ナガエの生態 ナガエは「地球上で最悪の侵…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

車いすの14歳、ねぶた愛をかなえた医師の提案 挑む姿はDVDに

 祭りがなくなっても、車いすでも、ねぶたを楽しもう――。昨夏、難病と闘う青森市の少年が、開催されるはずだった青森ねぶた祭の運行ルートを、車いすで練り歩いた。その様子は映像におさめられ、ねぶたを楽しみにしている全国の障害者らに届けられている。 昨年8月3日夕方、青森市の青い森公園。ボランティアたちのねぶた囃子(ばやし)に囲まれながら、小山内龍弥さん(14)が車いすで歩み始めた。ところどころ段差を乗り越え、本町方面を回って約2キロ。「体力がもたないのでは」と車で並走した母親の美和子さんの心配をよそに、浴衣姿の龍弥さんはしっかり座り続け、運行ルートを練り歩いた。 龍弥さんは、難病「毛細血管…この記事は有料会員記事です。残り959文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

池袋事故遺族への中傷投稿、警視庁が20代男を聴取 関与認める供述

 東京・池袋で2019年4月に起きた車の暴走事故で妻子を亡くした松永拓也さん(35)がSNSで誹謗(ひぼう)中傷された事件で、警視庁が愛知県に住む20代の男から任意で事情を聴き、男が関与を認める供述をしたことが捜査関係者への取材でわかった。 警視庁は19日午前、男の自宅を捜索し、携帯電話などを押収した。 松永さんのツイッター投稿に対して11日、「金や反響目当てで、闘っているようにしか見えませんでした」との返信があり、松永さんから相談を受けた警視庁が侮辱容疑で捜査を始めた。16日には被害届も受理していた。 捜査関係者によると、過去の…この記事は有料会員記事です。残り295文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

コロナで悔し涙を流した医師、中学生が励まし続けた 卒業前に初対面

 新型コロナウイルスと向き合い、悔し涙を流した医師と、励まし続けた地元の中学生たち。卒業式を前に初めて対面した。「ありがとう」を伝えるために。 周囲の山に雪が残る群馬県沼田市の沼田市立利根中学校(生徒53人)の多目的ホール。卒業式前日の3月10日、拍手に包まれた。同じ市内の利根中央病院に勤める鈴木諭医師(41)が、3年生21人と対面した。鈴木諭医師(右)に寄せ書きと木製マグネットを贈る生徒たち=2022年3月10日、群馬県沼田市利根町追貝、張春穎撮影 鈴木医師は2020年2月、災害派遣医療チーム(DMAT)の先陣として、横浜港に停泊するクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んで以降、新型コロナと向き合ってきた。協力したのに「悔し涙」 その理由とは 悔し涙を流したのは、その年の4月。東京都などに出た最初の緊急事態宣言が、全国に拡大した頃だ。 利根中央病院も協力しようと…この記事は有料会員記事です。残り1020文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

マスクで歌OK、保護者の参加増… コロナ禍の卒業式、制限緩和も

 新型コロナウイルスの感染「第6波」が収まらないなか、各地の卒業式では、昨年より制約をやや緩める動きが出ている。マスクを着けての校歌斉唱を認めたり、保護者の参加人数を増やしたり。コロナ下で迎えた3度目の卒業シーズン。感染対策と思い出づくりを両立させようと、模索が続いている。 東京都世田谷区の区立富士中学校(生徒数326人)で18日にあった卒業式。卒業生94人がマスクを着けたまま校歌を斉唱した。歌が認められなかった昨年にはなかった光景だ。 会場の体育館には約300人が集まった。保護者は約150人。昨年は生徒1人につき1人までだったが、今回は2人までに緩和され、門出を祝った。 感染防止のため学校は式の前にマスク着用を求めるアナウンスをし、入り口を開けたままにして換気した。卒業証書授与では壇上に上がる生徒一人ひとりがマスクをはずして保護者らに顔を見せた。 卒業生代表あいさつで上平美優希さん(15)は「コロナ禍の2年間は不安と戸惑いの連続。受験生なのにどうして、という思いもあった」と振り返り、「不安な気持ちに寄り添ってくれた」と両親に感謝の言葉を贈った。 式の後、生徒たちは校庭へ出て先生と談笑したり、保護者に写真をとってもらったりした。永松沙羅さん(15)は中学生活を振り返り、「コロナで不自由なことが多くてつらかったけど、先生方が工夫してくれて楽しかった」と話した。一斉休校のあった2020年3月以降、体育大会や合唱コンクールが軒並み延期に。それでも規模を縮小するなどして代わりの行事で思い出をつくった。卒業式1週間前の「駆け込み修学旅行」 卒業が間近に迫った今月10…この記事は有料会員記事です。残り1445文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

特産イチゴ、町内の子ども全員の卒業祝いに コロナ対策で一石三鳥 

渡辺純子2022年3月19日 16時39分 福岡県筑前町が、町内の小中学校と幼稚園、保育園を巣立つ約800人全員に、卒業祝いとしてイチゴを贈っている。今年初めての取り組みだ。 お祝いしながら町の特産をPRし、コロナ禍にあえぐ観光イチゴ農園も支える「一石三鳥」。経費約150万円は、コロナ対策の国の臨時交付金を使った。 大きな「あまおう」2パックずつをもらい、子どもたちは「大好き」と喜んだ。卒業祝いは花が定番だが、「花よりイチゴ」と保護者たち。(渡辺純子)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

アイドル10年生は嵐に夢を見る 加藤夕夏、川上千尋の栄光と未来

NMB48の加藤夕夏さん(左)と川上千尋さん=田辺拓也撮影(撮影時にマスクを外してもらっています)NMB48 12のスタディー! 加藤夕夏さん、川上千尋さん 活動12年目に入った大阪・難波を拠点とするアイドルグループ「NMB48」。そのメンバーにふだん考えていることや、アイドル活動の中での学びを聞く「NMB48 12のスタディー!」。今回は、活動10周年を迎えた3期生の加藤夕夏さん(24)と、今年10周年を迎える4期生の川上千尋さん(23)を招いた。「アイドルも、他の職業と同じように、キャリアの積み重ねや経験が正当に評価されると証明したい」と2人がいうわけは――     ◇ファン投票で決まる選抜メンバー…「ナンバトル2」への胸の内はNMB48の加藤夕夏さん(左)と川上千尋さん=田辺拓也撮影(撮影時にマスクを外してもらっています) ――昨日(3月9日)、川上さんを含むNMB48の「チームM」メンバーが出演していた「ナンバトル2公演~舞~」を見ました。 川上 ありがとうございます。どうでした? ――「カトレアの花を見る度に思い出す」という曲で、花がしおれていく動きを表現する振り付けがあったと思いますが、その動きの表現が秀逸でした。 川上 すごくピンポイントなご感想……。 加藤 細部は大事だよ。「複雑だった」(川上さん) 「怖いと感じた」(加藤さん)NMB48の加藤夕夏さん=田辺拓也撮影 ――NMB48は現在、「ナンバトル2」というイベントをしています。様々な指標で各チームや個人が競う趣向ですが、その中でもファン投票によって次作シングルCDの参加メンバーを決める試みが熱を帯びています。 加藤 上位14人が表題曲を歌う選抜メンバーとなり、24~15位の10人が「アンダーガールズ」としてカップリング曲に参加できる仕組みです。3月27日に最終結果発表が予定されています。わたしもどうなることやら……。NMB48の川上千尋さん=田辺拓也撮影 かわかみ・ちひろ 1998年、大阪府生まれ。2012年暮れに4期生としてNMB48での活動を開始。小1から8年間、フィギュアスケートに打ち込んだ。プロ野球好きで、阪神タイガースの熱狂的ファンでもある。甲子園グルメ大使。愛称ちっひー。 ――ファン投票によって選抜メンバーを決めるのはNMBでは初めての試みですね。 川上 正直、複雑でした。ファン投票の企画じたいは、これまでにもカップリング曲を歌う「難波鉄砲隊其之九」のメンバー決めなどで経験があるのですが、気持ちの面で楽ではなかった。「またか……」と思いました。 ファンの人たちに負担をかけてしまうのではないかという気持ち。でも、やるからには絶対に選抜上位に食い込みたいという野望。今も二つの気持ちが一緒にあります。 加藤 昨年、「ナンバトル」の第1弾があり、くじ引きで再編成された少人数のユニットどうしでパフォーマンス力を競い合う構図が導入されてから、いつか「個人戦」もあるものと覚悟はしていました。それでも、「ついにきたか……」という気持ちでした。 同時に「怖い」とも感じて……。 最新シングル「恋と愛のその間には」でわたしは22作連続でシングル選抜入りをさせてもらいました。「すごい金字塔だ」と言ってもらえるけれど、わたしの中には常にどこかに不安があったんです。わたしの何が評価されているのか…誰も教えてくれない(加藤さん)NMB48の加藤夕夏さん=田辺拓也撮影 ――不安というと。 加藤 いまの選抜メンバーは、運営会社が活動実績とか経験とか、メンバー個人のキャラクターなどを総合的に勘案して選んでいます。でも、どこがどう評価されて選抜されているのか、誰も具体的には教えてくれないんです。「それは言葉にするものではない」という雰囲気があるっていうのか。 最初のシングル選抜入り(2012年8月リリースの「ヴァージニティー」)の理由はわかるんです。わたしは新人だったし、ダンスには自信があった。 バッキバキにダンスを踊る新人が1人ぐらい交じっていると面白いだろうという、まあ実験ですね。でも、その次以降も選んでもらっているうち、だんだん「大丈夫かな、わたし?」と思うようになりました。 アイドルである以上、自分の居場所は自分で見つけなくてはいけない。他人に答えを求めるな、という美学はわたしにもあります。 でも、誰も何も教えてくれないと、それはそれで心細い。「ただなんとなく、理由もなく選ばれているだけなのかな」というマイナスな思考にもなりました。 今回の投票イベントに対しては、「わたしが自信をもって選抜に入れる初めての機会がついに来た!」って気持ちと、「でも、選抜に入れなかったらどうするの?」という怖い気持ちが同居しています。手の届かなかった選抜…わたしに何が足りないの(川上さん)インタビューに応じるNMB48の川上千尋さん=田辺拓也撮影 川上 わかります。選抜ってやっぱり特別なんですよ。わたしにとっては、ずっと手の届かない遠い存在だった。あこがれ続けていたわけです。 わたしが初めてシングル選抜に入ったのがいつかご存じですか。2016年暮れ、16枚目のシングル「僕以外の誰か」です。実に加入以来4年です。長かった。それだけに特別な感激がありました。 でもその次に選抜から外れた。19年に20枚目シングル「床の間正座娘」から選抜に復帰できるまで、また長い時間を要したんです。インタビューに応じるNMB48の川上千尋さん=田辺拓也撮影 わたしに何が足りないの。誰か教えて、とずっと思ってました。18年暮れあたりはもう最低な気持ちでしたね。順調な人をねたむ気持ちまで起きてくるし、そんな自分もみじめで。 最近は連続してシングル選抜に入ることができ、「やっと自分もアイドルとして自信がもてる」と思っている矢先だった。 ここで失速したくはないし、しっかりファンのみんなと喜び合える結果をつかみたいという気持ちはあります。数字や順位に換算できない価値もある(加藤さん)インタビューに応じるNMB48の加藤夕夏さん=田辺拓也撮影 ――投票順位がつくということについては。 加藤 さきほど選抜入りを続けるプレッシャーについてお話ししましたが、実は運営会社の人から「一度だけ、選抜から外してもいいかなと思った」と告げられたことがあるんです。でも、しなかった。「君には、ファンがしっかりついてきてくれている」と……。 わたしはトークとか盛り上げ役とかあまり得意じゃないと思ってきました。だから自分の得意なダンスで、舞台上でのパフォーマンスの芯をつくる役割を自任してきたし、NMBの歴史を初期からみてきたものとして、草創期の空気や精神を今に引き継ぐことを心がけてきた。「チームN」新公演の初日、NMB48劇場のステージで歌う加藤夕夏さん(左)=3月15日、阪本輝昭撮影 そういう目には見えない部分、数字には換算できない価値をつくり出そうと思って頑張ってきたのがわたしの10年です。そしてそれが、わたしの選抜入りを支えてくれたものだったのかも知れないとも思うんです。 だから、「順位」にこだわるのは矛盾しているようですが、それでも、速報順位(15位)を聞いた瞬間、「悔しい……絶対いやや……」という思いがこみ上げました(その後の中間発表では10位に)。 わたしはいまのポジションを守りたいのではなく、もっと上をめざしたい。今までやってきたことが間違いではなかったと証明したい。そして、多くの人に知ってもらいたい。 だから、あくまでもファンの人たちと一緒にはい上がっていきたい気持ちです。「目標は5位以内」だったけれど…なめてた ファンを私を(川上さん)インタビューに応じるNMB48の川上千尋さん=田辺拓也撮影 川上 わたし、目標を「5位以内」って掲げたんです。ちょっと強気すぎるかな、とも思ったのだけど……。わたし、これだけ長くアイドルをやってきました。 この間、なんの問題も起こしていません。ひたすら真面目にやりきってきました。そろそろ正当に評価されてもいいんじゃない?と思って。 そしたら速報発表で2位。ひっくり返りましたね。10位あたりの発表から「ああ、もうわたしが呼ばれることはないね……」と思って、悲しい気持ちでぼーっとしていたので、2位で呼ばれて心底驚いたというか。NMB48の川上千尋さん=田辺拓也撮影 ファンの人たちの熱い気持ちをなめていたし、自分自身のことも見くびっていた気がします。 中間発表で3位に下がって、「悔しい!」と思った。目標だった5位以内だから喜んでもいいはずなんですけど、2位から3位に下がったのが納得できなかった。なので急きょ目標を「1位」、センターに格上げしました。 高みを知るってこういうことなんだなって。ここまできたら、ファンの人たちを悲しませるわけにいかない。フレッシュさを決めるのは経験年数の長短じゃない(加藤さん)インタビューに応じるNMB48の加藤夕夏さん=田辺拓也撮影 ――アイドル10年のキャリアを、どう武器にしていきますか。 加藤 アイドルの世界は入れ替わりも競争も激しい世界です。アイドルは経験年数が浅いほうが有利、みたいな見方もあるかも知れません。 でも、アイドルという職業に向き合う姿勢や魂の部分でこそ評価されてほしいな、とわたしは思います。わたしの場合、それは青春をかけて取り組んできたNMBでの10年の活動で培ってきたものだし、その意味ではキャリアのたまものです。 「フレッシュさ」は単に若さではなく、物事に取り組む姿勢、心がけのことでもあるとわたしは思います。フレッシュさは「失敗をおそれないこと」「ちょっとしたことに感動する気持ちを失わないこと」だと思ってきました。だから、わたしは今もフレッシュです、と自信をもっていえます。NMB48の加藤夕夏さん=田辺拓也撮影 たとえば最近、ユーチューブでヨガ動画の配信を始めました。 別にこれで投票が増えるとか思いません。コロナ禍で在宅の人が増え、運動不足の人もいるでしょう。わたし自身もそうでした。だから、一緒に気持ちをリフレッシュし、体をほぐして……。 ファンの人たちと一緒に前に進む。常に何か新しいことにチャレンジする。そんな信条をわたしはかたちにしてきました。そして、これからもきっとそう。 「加藤は安定感がある」とか「加藤がいると安心する」とかは、わたしにとっては褒め言葉ではありません。一つのところに安住せず、挑戦の気持ちを忘れなかったから、今のわたしがあるんだと思っています。 それは、先輩たちに比べて「小粒」などと評されるなかで活動を始めたわたしたち3期生がよりどころにした共通精神でもあるんです。 今は3期生はわたし一人となってしまいました。でもわたしは誰よりも3期生であり続けたいと思っています。ベテランだから つらい思いをしたから 表現できるもの(川上さん)NMB48の川上千尋さん=田辺拓也撮影 川上 アイドルも他の職業のように、キャリアや経験年数が正当な評価につながっていく時代だと思います。 プロ野球だってそうじゃないですか。若手が活躍すれば脚光を浴びるけれど、経験を積んだベテランだからこそ切り抜けられるピンチ、みせられるプレーはたくさんあるでしょう?  代打の神様として、ここぞというときに試合を決める選手もいる。そういうベテラン選手の活躍にわたしたちはうれしくなって、勇気をもらうわけですよね。 あっ、そうそう、わたしが尊敬しているのは阪神タイガースのベテラン、糸井嘉男選手です。 ――キャリアを積んでこそ出せる魅力や味わいがあるということですね。 川上 いろんな経験をするうちに、人間的な奥行きというか、幅が備わるものじゃないでしょうか。 冒頭、「カトレア」の曲で花がしおれる動きの表現がよかったという話がありましたが、NMBの活動のなかで実際に気持ちがしおれるような経験やめげる体験をいっぱいしてきたわたしだからこそ、表現できる世界はいっぱいあります。 そんな経験をしてきた人の励みにも力にもなれると思うし……。 アイドルっていい仕事ですよ。今のところは、この先ずっとアイドルでもいいかなって思っています。「自分にも、メンバーにも負けない」と叫んだ真意は…(川上さん)「チームM」新公演の初日、NMB48劇場のステージで歌う川上千尋さん(左)=2月11日、阪本輝昭撮影 ――ところで、川上さん、昨年11月開催のNMB48「11周年コンサート」で、「わたし9年目だけど、もっともっと上に行きたい。自分にも、メンバーにも、負けへんで~!」と叫んでいました。ライバルでもある「メンバー」に負けないっていうのはわかります。「自分に負けない」というのはどういう? 川上 ああ……。そんなことも言いましたね。 ――「自分にも、メンバーにも」ってことは、まず、自分に負けないってことが先にくるわけですか。 川上 あのですね……。やっぱり見えてくるんですよ。長年やっていると、自分の不得意な分野、限界というのが。この分野は頑張ってもダメだな、とか。 でも、それは本当に限界なのか。自分で勝手にできる範囲を決めているだけじゃないのか。恥をかきたくないだけではないのかって……。 もっと突き抜けるためには、そういうのも捨てないといけない。だから「自分に負けない」って宣言したんです。アイドルは「通過点」? 勝手に決めないで!(加藤さん、川上さん)NMB48の加藤夕夏さん(左)と川上千尋さん=田辺拓也撮影(撮影時にマスクを外してもらっています) 加藤 アイドルって、広い意味では、人に笑顔を与えられる、あこがれの対象となる存在のことだと思うんです。だから年齢とか立場とかに関係なく、その気があれば一生ずっとアイドルであり続けることは可能だなって最近よく思います。頑張ろうかな、わたし……。 川上 48グループではよく「アイドルは通過点だ。ここをステップにして、次の舞台へはばたけ」みたいなことが言われるけど……。勝手に決めないでほしい。いいやん、ずっとアイドルで。 わたしにはアイドルとして、やるべきことがいっぱいあるんですよ。同期生の渋谷凪咲はバラエティーの世界で大ブレークした。世間の人がNMBに興味をもってくれるきっかけ、入り口になっている。 わたしもそうなりたいんですよ、NMBの入り口に。フィギュアスケート経験、プロ野球好き、そして女優業。いろんな引き出しをもったアイドルとして。そう簡単にやめられないよ。 加藤 そうだよね。「ずっとアイドル」で頑張ろうか。逆に、どこまでやりきれるかチャレンジだね!NMB48の加藤夕夏さん(左)と川上千尋さん=田辺拓也撮影(撮影時にマスクを外してもらっています)     ◇…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

部屋一つひとつが作品……アートな体験できちゃう京都のホテル

有料会員記事文・寺田実穂子、写真・筋野健太2022年3月19日 17時00分「BnA Alter Museum」の「goen no ma」=2022年3月4日、京都市下京区、筋野健太撮影 今宵(こよい)のお宿は、壁面に5円玉がぎっしりと貼り付けられた部屋。アートのまち京都で、他にはない一夜を過ごしませんか。 「お部屋一つ一つが作品です。繊細な部分がありますので、お手を触れないようお願いします」。フロントのそんな案内にわくわくした。 京都市にあるアートホテル「BnA(ビーエヌエー) Alter(オルター) Museum(ミュージアム)」。10階建ての細長いビルには、16人のアーティストが手掛けた31室がある。 黒を基調としたシンプルな廊下を抜け、客室に入るとそこは別世界。赤やオレンジ、青……カラフルな蛍光塗料で四方の壁と天井が塗られ、大きな竜が描かれている。ベッド脇のボタンを押すと、LEDライトの色が次々に変化し、ライブ会場のよう。壁画やライブペイントを手掛けるMon Koutaro Ooyamaさんの作品だ。 壁の一部に5円玉がぎっしり貼られた部屋、深海をイメージした部屋も。ベッドに仰向けになり、細部をじっくり鑑賞するのが楽しい。後半では、地元で人気のグルメスポット紹介や、会員登録すると応募できるプレゼントもあります。今回はホテルの宿泊券です。 客室に作品を飾ることは珍し…この記事は有料会員記事です。残り900文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

サハリンからウクライナへ 2度の戦争に翻弄された日本人男性が帰国

 ロシアのウクライナ侵攻、そして約80年前の第2次世界大戦。二つの戦争に翻弄(ほんろう)された日本人男性が19日、ウクライナから戦火を逃れ、帰国した。降籏英捷(ふりはたひでかつ)さん(78)。1歳で日本統治下の南樺太(現ロシア・サハリン)で終戦を迎え、ソ連の占領後は帰国できず、20代のころからウクライナで生活してきた。孫やひ孫とともにポーランドに避難し、ようやく故国の土を踏んだ。 19日午後5時過ぎ、成田空港の到着ロビーに英捷さんたちが現れた。出迎えた妹で五女の畠山レイ子さん(70)=北海道旭川市=が大きく手を広げ、ロシア語で「とてもうれしい」と言いながら英捷さんを強く抱きしめた。そして、兄で長男の信捷さん(80)=北海道稚内市=が英捷さんと抱き合った。 英捷さんは「日本に到着でき、兄や妹に出迎えてもらえた」とロシア語で語った。さらに「ロシア軍は理由もなくウクライナを攻撃し、市民が犠牲になっている。そして、ロシア側にも犠牲者が出ている」と訴えた。 帰国の手助けをした日本サハリン協会やレイ子さんによると、英捷さんが暮らしていたのは、首都キエフの西約130キロにあるジトーミル。ウクライナ出身のポーランド人の妻と一人息子に先立たれ、一人暮らしだった。 ロシアの侵攻後、英捷さんの自宅近くも攻撃を受け、3月5日、急いで孫息子の妻(27)とひ孫(2)と車でポーランドへ向かった。途中で孫娘(18)と合流したが、車の故障や、食料と飲み水の不足に悩まされた。国境付近では避難する人々の車で大渋滞が発生。一家がポーランドにたどり着いたのは8日だったという。敗戦、強制移住…平穏な老後を襲った再びの戦火 英捷さんは1943(昭和1…この記事は有料会員記事です。残り972文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル