スポーツ少年団でクラスター、市内全6小学校が休校に 和歌山・岩出

 和歌山県岩出市は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、17日から市内の小学校の全6校を臨時休校とした。休校期間は24日まで。 同市では15、16の両日、市内4校の児童が加入しているスポーツ少年団で、児童やコーチら14人のクラスター(感染者集団)が確認された。 その他でも複数の児童の感染が確認されており、県や岩出保健所が16日、同市教委に児童の自宅待機を要請した。休校期間は、スポーツ少年団の児童たちが最後に登校した14日を他の児童との接触日とし、15日から10日間とした。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

無罪確定でも警察はDNA型を保管できるか  名古屋地裁で18日判決

 無罪判決の確定後も、警察がDNA型のデータを保管するのは是か非か――。こうした点を争う訴訟の判決が18日、名古屋地裁で言い渡される。警察庁のDNA型データベース(DB)の保管の根拠をめぐり、双方の主張が対立している。原告「保管の根拠ない」 原告は薬局を経営する名古屋市の奥田恭正さん(65)。2016年10月7日朝、自宅前の高層マンションの建設工事をめぐり、現場関係者に抗議していた。その際に現場監督を突き飛ばして徐行中のダンプカーに接触させたとして、愛知県警瑞穂署に暴行容疑で現行犯逮捕された。勾留から数日後、同署の警察官にDNAや指紋を採取された。 名古屋地裁は18年2月、現場監督の証言はあいまいで、防犯カメラの映像からも突き飛ばす行為はなかったと認定して無罪とし、一審判決が確定した。 これを受け、奥田さんは同年…この記事は会員記事です。残り634文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

Foreign players facing another lonely NPB season

The signs of baseball spring are popping up all across Japan this month. Veteran players…

「息子死んだと思う」阪神大震災直後のラジオ中継 スタジオ内は絶句

 阪神・淡路大震災の直後から、被災地の神戸でまちの状況を伝え続けたラジオ関西。防災について勉強している兵庫県立舞子高校環境防災科の3年生の2人が、当時の放送を聴き、スタジオで生放送をしていたパーソナリティー谷五郎さん(68)から話を聞きました。 当時の放送で、谷さんには忘れられない現場リポートがあるといいます。 午前7時半ごろ、火災があった神戸市長田区に着いたスタッフが生中継で住人らに声をかけていました。 「息子が一人、もう死んでると思うね」震災後に創設され、今春で20年になる兵庫県立舞子高校環境防災科(かんぼう)で学んだ若い世代は、震災について何を学び、何を思うのか。その姿を描きます。後半では、ラジオ関西のラジオパーソナリティー谷さんから震災当時の話を聴く様子を音声でお聞きいただけます。 「ええっ?」…この記事は有料会員記事です。残り1094文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

児童買春容疑で市係長を逮捕 福岡県警

加治隼人2022年1月17日 12時51分 女子高校生に現金を渡してみだらな行為をしたとして、福岡県警は17日、同県うきは市職員の山口武志容疑者(42)=同市吉井町新治=を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕し、発表した。容疑を認めているという。 筑紫野署によると、山口容疑者は昨年10月20日、福岡市中央区のホテルで、相手が18歳未満だと知りながら、同市に住む女子高校生(17)に現金3万円を渡し、みだらな行為をした疑いがある。この生徒がSNS上に援助交際相手を求める書き込みをし、それを見た山口容疑者が応じたという。県警が生徒の書き込みを見つけて捜査していた。 うきは市によると、山口容疑者は徴収対策室の係長。高木典雄市長は「逮捕が事実であれば、極めて遺憾。確認の上、厳正かつ適正に対処する」とコメントを出した。(加治隼人)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

毎晩祈り続ける詩人、供えられた200枚の詩はがき 大阪・ビル放火

 25人が亡くなった大阪市北区の放火殺人事件の現場で毎晩、犠牲者一人ひとりに祈りを捧げる詩人がいる。家路を急ぐ人々が途切れなく行き交う歩道の端で、目を閉じ、静かに手を合わせる。 大阪市内に暮らす里みちこさん(74)は事件の6日後、初めて現場となったクリニックが入る雑居ビル前に立った。25人の無念を思い、涙がこぼれた。翌日も、その次の日も、現場に自然に足が向いた。 「亡くなった人たちを悼み、祈りたい。私の『いのち』のかけらである『時間』をお供えしたい。沈黙の声を聴き、残された思いを生かしていけないだろうかと思っています」 深く見つめた心の痛みや喜びを筆文字で詩に描く詩人で、詩を朗読して心模様を伝える「詩語り」を大阪城公園でほぼ毎朝、25年以上続けている。自身の父母との別れを詠んだ詩は、大切な人を災害や自殺で亡くした遺族にも響き、遺族支援グループの集まりに招かれることも多い。 誰かを励まそうと、詩を書くわけではない。 でも、遺族が亡き人を思いな…この記事は有料会員記事です。残り713文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

アメニティーのプラごみ「8年後ゼロ」へ 宿泊客に持参呼びかけも

奥平真也2022年1月17日 10時44分 アメニティー(歯ブラシやカミソリなどの備品)のプラスチックごみを2030年までにゼロに――。滋賀県旅館ホテル生活衛生同業組合(181施設、前川為夫理事長)は11日、プラごみ減など3項目の目標を掲げたSDGs(持続可能な開発目標)行動宣言を公表し、三日月大造知事に報告した。「環境」と「観光」の共生に取り組むという。 30年までに達成する3目標は、アメニティーのプラごみゼロのほか、「県産食材の使用量を全食材の50%に」と「SDGsにかかわる商品販売で客室売り上げを20%増」。SDGsとMLGs(マザーレイクゴールズ、滋賀県版SDGs)の促進に取り組むとし、「環境と観光の共生地~琵琶湖を守り、琵琶湖と遊ぶ~」のスローガンを決めた。 ホテルや旅館で提供される歯ブラシ、カミソリ、くし、ブラシなどのプラスチック製備品は、使用後はごみとなってしまう。組合によると、大きな宿泊施設では年間5トン以上のプラごみが出るという。 しかし、近年はアメニティーを減らす取り組みが進んでおり、また4月施行のプラスチック資源循環促進法でも規制の対象となる。組合内部で協議し、日本よりもずっと環境意識の高いインバウンド(訪日外国人客)が増えることも予想されることから、あえて「ゼロ」を目標に掲げることにした。 今後、麦の茎を活用してプラスチックを3割減らしたアメニティーの導入を進めるとともに、客に普段使っているものを持参してもらう呼びかけもするという。 知事への報告後に会見した前川為夫理事長は「新しい環境に応じて我々も変わる。滋賀県みんなでやっていく取り組みにしたい」と決意を述べた。(奥平真也)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「自分も心を病んだ」絶えぬ犠牲者悼む花束 大阪ビル放火1カ月

 大阪市北区の雑居ビル内にあるクリニックで25人が犠牲になった放火殺人事件は17日、発生から1カ月となった。ビルの前には犠牲者を悼む花束が絶えない。事件が発生した午前から、現場の前で手を合わせる人々の姿があった。 事件では、西沢弘太郎院長(49)やクリニックのスタッフ、患者らが犠牲になった。 午前9時ごろ、現場近くで障害者向けの生活・就労支援の会社を経営する川田祐一さん(49)は、現場のビルに向かって手を合わせた。経営する会社のサービスを利用していた男性が事件に巻き込まれて亡くなったという。「怖い思いをして亡くなられたのでショック。本当に真面目な人だった。ただただ悲しいし、悔しい」。事件から1カ月が経つことについては「言葉が見つからないです」と語った。午前10時ごろ、数珠を手にビルに向かって、手を合わせて黙禱(もくとう)を捧げた大阪市北区の無職の男性(67)は、「自分も心を病んだ経験があり、ここに通われていた人が他人とは思えない。ご冥福をお祈りしたい」と話した。 現場は繁華街・北新地にある。バーやクラブなど約450の飲食店が加盟する「北新地社交料飲協会」は事件発生3日後に現場で献花した。北新地でバーを営む理事長の東司丘(としおか)興一さん(70)は「亡くなった方々が気の毒です。新地のみんなが納得のいかない悲しい気持ちになっていると思う」と犠牲者を悼んだ。 近くでバーを経営する女性(46)は「(死亡した容疑者には)なぜこんなことをしたのか語ってほしかった。理由もわからず、1カ月経っても心の整理がつかない」と語った。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

優しい性格が理由?リーダーが1番外のことも 淡路島の「サル団子」

森直由2022年1月17日 11時01分 約350匹の野生のニホンザルを観察できる淡路島モンキーセンター(兵庫県洲本市)で、体を寄せ合って寒さをしのぐ「サル団子」が、この冬も見られるようになった。曇りで気温が低く、風が強い日に、団子をつくる傾向がある。 センターによると、昨年12月から始まり、今年2月ごろまで見られそうだという。100匹以上の「巨大団子」になることもある。 小豆島(香川県)のサルの群れでは、順位が高いサルほど暖かい内側にいることが多く、「ニホンザルのオスにとって高順位を得ることは、多くの食物や繁殖機会を得るだけではなく、効率良く寒さをしのぐことにもつながっていると考えられる」という研究報告がある。一方、淡路島の群れでは順位に関係がなく、オスの序列1位(リーダー)のジョニー(推定21)が、最も外にいることもある。 淡路島のサルは全国的にも仲が良く優しい性格の集団として、研究者らに知られている。センター長の延原利和さん(67)は、「群れの寛容性の高さがサル団子にも影響しているのではないか」。センターのホームページでは、サル団子が完成する様子と、リーダーが最も外側にいる動画が公開されている。(森直由)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

激震18分後、聞こえなかったサイレン 元NHKアナが悔やむ一報

 1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災。NHKのアナウンサーだった住田功一さん(62)は、神戸から最初のリポートをした。激震からわずか18分後のことだった。いまは大阪芸術大でアナウンサーをめざす学生の指導にあたる住田さんに、あの日のことを聞いた。 ――震災が発生した時はどこにいましたか。 「東京で『おはよう日本』のアナウンサーをしていましたが、大みそかの『ゆく年くる年』を担当したこともあり、遅めの正月休みをとって神戸市灘区の実家に帰省していました。前日に大阪で友人の結婚式があり、お酒も手伝ってぐっすり眠っていました」 「簡易ベッドのきしみで少し目が覚めたのですが、直後の激しい縦揺れに、ただただベッドの上で跳ねているしかありませんでした。職業柄、揺れの秒数を数えていたんです。40秒ぐらい経って揺れが収まると、今度は静寂と暗闇に包まれました。全身に鳥肌が立ち、恐怖に包まれました」 ――まずは何をしましたか。 「家族の無事を確認した後、かばんから携帯ラジオを取り出してテレビの音声に切り替えると、先輩アナウンサーが各地の震度を伝え始めていました。とにかくこの状況を発信しないといけないと思い、東京の放送局に連絡を入れようとしました。家の電話がつながらず、隣の家の人に貸してもらいました」 「たまたま一発でつながると、同僚が『え、神戸にいるの』と。『すぐにリポートしてくれ』と言われ、放送用のダイヤルにかけ直しました。今度は緊張で再び鳥肌が立ちました」 ――午前6時4分、発生から18分後に現地から一報を届けました。 「マニュアル通り、見た事実だけを淡々と伝えました。『約40秒揺れた』『およそ2分おきに余震がきている』『火の手は見えない、サイレンの音はしない』。振り返ると、すでに多くの命が失われている時間でしたが、消防も救急も手が回らず、サイレンの音は聞こえませんでした。結果的に被害の少ないリポートが最初に日本中に広まったことになった。いまでも責任を感じ、悔やむ一報になりました」 ――その後は3週間にわたって、取材に奔走されたそうですね。 「私がアナウンサーになりたいと思ったきっかけは、小学生の時に見た映画『ゴジラ』の中で、アナウンサーが命懸けで日本の危機を現場中継する姿でした。不謹慎かもしれませんが、阪神高速の道路が崩れた状況を見て、あの場面と重なりました。『今やらないで、いつ頑張るんだ』と。アドレナリン全開の自分と、変わり果てたふるさとを見て落ち込み、悲しむ自分。2人の自分と向き合いながら、救援物資や避難所などの情報を精いっぱい発信しました」 ――母校の神戸大でも39人が亡くなりました。NHKで神戸から最初にリポートした住田さんが背負った思いとは。今も経験を伝える理由を聞きました。 「震災から1年が経ったころ…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル